連載

対論[第9話・前編]三條西堯水×田中康嗣
勝ち負けがない

三條西堯水(Sanjonishi Gyosui)
1962年生まれ。御家流二十二世宗家三條西堯雲を父とする。御家流は、香祖と尊称される室町時代の三條西実隆を流祖とした香道のもっとも古い流派。代々、三條西家の当主が御家流宗家を継承し現在に至る。
少年時代より、父と祖父(二十一世宗家)堯山から香道の手ほどきを受ける。1985年、立教大学法学部卒業後、IT企業勤務を経て、1997年、父の逝去により二十三世を継承。弟子の指導のほか、各地で香道の講座や香席を開いたり、NHK大河ドラマ『篤姫』や『江・姫たちの戦国』などでの香道指導など、様々な形で香道の普及につとめる。学習院女子大学非常勤講師、実践女子大学非常勤講師。本名は三條西公彦。

和塾理事長 田中康嗣(以下、田中):香席は人々が集い時と場を共有し、互いを慮りながら楽しむもの。疫病の蔓延などで人間が集合することを否定されると、とても厳しいことになりますね・・・。

三條西堯水(以下、三條西):人と人の境界領域をできるだけなくして、人と人が密接に交流するのが香席ですから。香りを聞くことがその本旨で、窓も障子も襖も開けてはいけない。風が通れば、香りはどこかに飛んでいってしまいますからね。

田中:換気をしながら香を聞く、なんてことはあり得ない。

三條西:ええ。お茶には野点もありますが、屋外で催す香席はありません。愛知万博のときに一度、香のデモンストレーションということで、屋外ステージで実施したことがあるのですが、もうまったくお話にならず。清々しく風が吹き渡りましてね(笑)。香を聞く香炉には炭を入れて火を埋め、ごく薄い雲母に縁をつけた銀葉を敷きその上に香木を載せます。すべてがとても繊細。風が舞うステージ上では成立するはずがありません。それ以来、屋外での香席の経験はありませんね。

田中:香は風のない室内で、互いに手の届く距離で、人々が集って楽しむしかやりようがない。

三條西:はい。だから、現代の疫病は本当に厄介です。

田中:この感染症は、そもそも人間が自然との距離感をわきまえなかったことに起因するとも言われています。自然との距離を誤った結果、人間同士の距離が影響を受けて変更を迫られている。それが、600年の歴史を重ねる香道にまで及んでいる。疫病自体は有史以来ずっと、人間と共にあったのですがね。時代の病い、という側面もありますね。

三條西:香りや匂いに対する社会のスタンスも随分変わりました。化学物質による極端な芳香が持て囃されたり、その反動?で香害などという言葉が生まれて、無臭であることを求められたり。

田中:異臭も含めて本来多様だった自然の香りが、次々に排除されるようなことが多くなっています。立ち止まって見直さねばならないと思います。

 

●香りの道はどこまでも

田中:香と日本人の関係はいつ頃からになりますか?

三條西:香木が日本に初めて持ち込まれたのが西暦で言えば500年代の頃。仏教と共に伝来したと言われています。ですから、その関係はおおよそ1500年余になりますでしょうか。

田中:それまでは、つまり1500年以上前の日本での香りはどのような存在だったのですか?

三條西:それより前のことは、詳らかではないのですが、そもそも「香」という文字が、黍(きび)を焚いた時の甘い香りを表しているという説もあるようで、人類が認識する香りというのは樹木を焼くことによって生ずるものだったのかもしれません。そう考えると、人間が火を手にして焚き火を囲んだときから、香りは人と共にあった、と考えることもできるでしょう。

田中:英語のperfumeもラテン語のper‐fumum(煙を通して,煙によって)が語源ですね。焚くことで香りが生まれる。

三條西:そうです。樹木を焚きこめると良い香りがすることを人間は相当昔から知っていたのでしょう。中でも香木と言われるものは特に良い香りがします。

田中:けれど、その香木と言われるものは日本にはなかった。

三條西:ええ。すべて海外からの輸入品です。だからとても貴重な存在なのです。中でも沈香と呼ばれるものは、インドや東南アジアにある常緑樹の樹液が樹脂となったもので、そのメカニズムはいまだによく分かっていないのですが、見事な芳香がある。良質な香木となるのには100年200年かかるとも言われています。

田中:そうした香木は、日本に持ち込まれて、当初は信仰の中に位置したのですよね。宗教的空間を清めるために香を焚く、というようなことに使われた。

三條西:そうです。その後、それが身を清めるというような意味をも帯びてゆき、薫物と言われる髪や着物に香りを纏わせることへとつながってゆきました。源氏物語などには、そうした薫物による香りのエピソードがたくさん出てきます。仏教儀式での祈りに付随した香りが、個人的な楽しみへと領域を広げたのです。室内空間を香りで演出したり、衣服に香りを含ませたり、手紙に香りを忍ばせたり、日本人は暮らしをさまざまな香りで彩るようになるのです。やがて、香りそのものを愛でるようなことになる。

田中:源氏物語を読むと、さまざまな登場人物が独自の香りを調合して創り出していますよね。

三條西:はい。さまざまな香の素材を粉にして、それを練り固めるのですね。練り固めて壺に入れて土の中に埋めておいたりします。熟成させるのです。とても時間の掛かるたいへんな作業です。

田中:自分を演出するために文字通り香りを練り上げる。殿上人たちの優雅なお遊びですね。

三條西:そうですね。平安時代には、貴族の遊びの中に、物合せというものがあって、さまざまなものを比べ合うのですよ。例えば、歌合せ。詠んだ和歌を比べあってどちらが優れているとか。貝合せというのも、元々は綺麗な貝を集めてきて、それでどちらがより綺麗なのか比べたり。鳥合せというのは、どちらの鳥の声が良いかを競い合う。根合せ、などというものもありまして、草を引き抜いて、どちらの根が長いかを比べる。そうした貴族のお遊び、物比べの中に、自分の作った香りを比べ合う、薫物合せと呼ばれるものが現れます。そうした雅な文化があったからこそ、その後の香道があるのです。

田中:祈りから暮らしへ、暮らしから遊びへ。屈託のない展開ですね。祈りも、日々の暮らしも、遊戯も、あまり境目がなかったのかもしれない。シームレスな感じです。

三條西:人々が集って、祈ったり遊んだり。しかも、比べると言っても勝ち負けと言うことではありません。特に貴族はそんなに勝ち負けにこだわっていないですね。そこで楽しめばいいみたいなことが多くて。

田中:なるほどね。そういえば、蹴鞠などもそうですものね。

三條西:そうそう、勝ち負けがないんです。日本のサッカーがゴール前になると弱いのは、蹴鞠からの伝統で、ゴールがないからだって。

田中:決定力不足は蹴鞠のせいですか(笑)。

三條西:蹴鞠は、ただパスしているだけですから。

田中:西洋のスポーツとは全然違いますね。比べ合う、競い合うと言っても勝ち負けじゃない。でもその方が、持続可能性がある。勝ち負けを決めるとなると、どうしてもそこで終わってしまい、途切れてしまう。しかも、結局、強い方が良いということになるわけですから、多様性も欠いたことになります。

三條西:香道の組香なども、競い合うということではあるのですが、勝ち負けということではありません。強い弱いということでもない。だから、いつまでも楽しめます。(後編へ続く

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