連載

対論[第2話・前編]桂盛仁×田中康嗣
1500年前の技法でつくっています

やきもの、漆器、金工品、木工品、染め物、織り物…
日本の職人たちの手仕事により創り出され、先人から受け継がれてきた高度な技がふんだんに盛り込まれた美しい品々に、私たちは魅了されずにはいられません。
日本の伝統文化から、持続可能な地球を導く新たな価値軸を考える連載「日本文化から考える持続可能な地球のこと」。第2回目は、金属を素材にして装飾する「彫金」の重要無形文化財保持者(人間国宝)の桂盛仁先生にお話をうかがいました。日本のものづくりの原点といえる日本の手仕事には、「持続可能な地球」のヒントがたくさん。なぜならどれも時代を超え、世代を超え続いてきたものばかり。百年千年という歴史の長さが、それをすでに証明しているからです。

桂盛仁(Katsura Morihito)
1944年、東京生まれ。師である父・桂盛行の仕事に小学生の頃から触れ、10歳頃から手伝いを始める。1971年に金工作家としてデビューし、日本伝統工芸展に初出品・初入選を果たす。制作スタイルとして平象嵌、高肉彫、打ち出しといった技術を得意とし、宮内庁買い上げや文化庁長官賞、東京都知事賞を受賞するなどその超絶技巧で高い評価を得ている。卓越した観察力とデザイン力で、これまでに扱われることの少なかった動物や昆虫をモチーフとし、帯留金具や香合、香炉、花瓶など様々な用途の作品を創作している。雅号は夢山人。
日本工芸会正会員・参与、日本伝統工芸展審査員、日本金工展審査員。
2008年、重要無形文化財「彫金」保持者(人間国宝)に認定。

 

●技(わざ)を伝える

和塾理事長 田中康嗣(以下、田中):今日はまず、ひとつ目の話題として、日本における「技術の継承」についてお話しをうかがいたいと思います。これこそまさにサステナビリティ。伝え、つなぎ、つづけてゆく日本の技(わざ)。桂先生がいま日々実際に使われている技術も、1000年を越えるようなものがあるのですよね。

桂盛仁先生(以下、桂):ええ、もうそういう意味からすると、我々の創作作業の中には、1000年どころじゃない技法が入ってます。1968年でしたか、埼玉県行田市の埼玉古墳群の稲荷山古墳から出土した鉄剣があるのですが、この剣には全部で115文字の漢字が刻まれている。使われている技法は、今でも我々が使っている金象嵌(ぞうがん)と言われるものなんですね。銘文の冒頭に「辛亥年七月中記」とあって、西暦に直すと471年のこと。つまり今から1500年前には、金象嵌の技法が日本で確立していて、それが今でも使われているのです。すごいことです。

田中:1500年前の技術が、ほぼそのままで受け継がれ、今でも使われている。日本以外では、まずあり得ないことではないですか。過去の技術は、更新されて途絶えてしまうのが世界の標準ですからね。

桂:そうですね。例えば、お隣の中国などでもさまざまな氏族が戦い、勝利して国土を統一した人が皇帝になりますよね。そうすると前のものをすべて壊して自分の文化文明を新たにつくりあげる。次にまた新たな政権が起ち上がると、前の文化はご破算になる。だから文化はどんどん途絶えることになって受け継がれていかないのです。ところが日本では、闘争を繰り返す時の政権とは別次元で天皇家が継続していることもあり、文化は途切れることなくつながっているのです。政権が変わっても、その前の文化を根絶やしにはしない。

田中:サステナビリティを基準に考えると、日本人は本当に素晴らしい。例えば、その技術を後世に伝えるために見事なシステムを構築したりもしますよね。伊勢神宮の遷宮などがそうですよね。そこに、技術を守り伝えていこうとする明確な意思がある。

桂:ありますね。私も遷宮のお手伝いをしたことがあるのですが、最初はなぜ20年おきにそのようなことをするのか不思議でした。実際に関わってみると、最初は見習いとして末席で技を学び、学んだ技術を磨いて20年後には主軸として参画し、さらに20年を経て、若者に技を伝える長老としてチームに加わる。誠に見事な仕組みです。

田中:遷宮のシステムって世界的に見てもユニークで素晴らしい。西洋や中国では、物だけしか伝わらなくて、それにまつわる技術が全く伝わってないっていうようことがとても多いですよね。ギリシャに素晴らしい神殿があっても、どうやって作ったのか確かなことはわからない。重機もない時代に、どのようにしてあのような列柱を積み上げたのか、たくさんの研究者がさまざまな見解を提示しているようですが、確かなことはわからない。技術が継承されていないから。けれど日本では、1000年以上前のものでもはっきりわかる。すごいですよね。
もうひとつ、技を伝えるとても優れた日本のシステムに、先生もその一人である人間国宝の制度がありますね。これはつまり、人間が持っているワザ、つまり技術そのものが国の宝だと認定するもの。物ではなくて技が宝だと。すごく素敵でしかもユニーク。人間国宝は英訳するとLiving National Treasureになるのですが、欧米の人にはその意味がいまいちピンとこないらしい。Treasureつまり宝物というのは物質を指す概念ですから、それが生きている(Living)といわれてもわけがわからない。日本では、工芸や芸能の高い技術を国家が認めて、その継承を国家が支援している。伝え、つなぎ、つづけることを大切にする、日本人らしい素晴らしいシステムではないですか。

桂:そうですね。あれは明治の時に、明治23年に設置された帝室技芸員の制度がおおもとですからね。それが昭和になって、文化勲章や日本芸術院会員、そして重要無形文化財、いわゆる人間国宝の認定へと引き継がれた。あれを作った人はすごいですよね。人間の手業そのものを宝とする。そういうようなことを誰が考えたか知りませんけれどね。今では、韓国とフランスが真似してますよね。

田中:そうですよね。しかも、日本の人間国宝は、その技を伝承するというのも要件のひとつに入っている。

桂:伝承しないといけないです。

●職人としてものをつくる

田中:さて、そうした技を駆使して行うものづくりですが、日本のものづくりの特色のひとつに、使う人のことを思いながらつくる、という思想がある。西洋のものづくりは、特にルネサンス以降は、作り手の自己表現になっている。極端に言えば、使う人がどう思おうが関係なくて、これが俺の作品だ、といった思想が横溢していますよね。つくる人と使う人が切れていて、つながりが希薄な構造になっている。それってなんだか持続性に欠けるな、と思うのです。対して日本のものづくりは、使い手である注文主や発注者がいて、作り手はその人の希望に応えようとか、その人に心地よくなってもらおうとか、他者の幸福のためにつくる。思いがつながってゆくものづくりですよね。

桂:そうですね。だから我々は、芸術家じゃなくて職人なんですよね。職人は注文を受けてものをつくる。注文を完璧にこなし、時にはそれを越えるような成果を出すのが腕の良い職人なんです。自分だけの思いを発表する自己表現のものづくりとは違いますね。
こんなものつくってくださいと言われて、どうしようか考える、工夫する、道具がなければそれもつくる。そうやって工夫して工夫して注文に応えます。結果として、技術もぐんぐん向上します。出来上がりを受け取った注文主は喜んでくれる。それが次の注文につながります。新しい表現も、さらなる技術の洗練も、そうした関係の中で生み出されていくのです。
けれど、そうした日本のものづくりが今でも受け継がれているのかというと、現実は少し異なることになっています。これは日本の美術大学にお願いしたいことなのですが、少なくとも1年間、学生にまずは基礎をしっかり教えてほしいのです。学生のやりたいことを引き出し、学生の個性やセンスを尊重する、ということの前段階としてです。なぜなら、発注者の厳しい注文にも応えられる基本的な技術も身につけていないのに個性を求めても上手く行かないのですよ。基本をしっかりと会得した上で、それを基板として自分の個性を発揮すれば、土台がしっかりしてるから揺らぐことはない。基礎がないのに個性を求めるとどこかで躓いたらもう立ち上がれなくなりますから。

田中:基礎、つまり先行する型を身につけるからこそ持続的なものづくりが可能なわけで、それを蔑ろにしたのでは、持続しない途切れ途切れのものができあがってしまう。日本というのは、先行する先人たちの成果をきちっと評価しながら、その上に自分の個性を足すことを良しとするわけで。日本人ならだれもが知っている風神雷神図などがその良い例です。国宝でもある俵屋宗達の風神雷神図。その100年ほど後に描かれた尾形光琳の風神雷神図。さらに100年を経てつくられた酒井抱一の風神雷神図。先人の成果を徹底的に学んだ上で、自分の個性を加えていますよね。ぱっと見はほとんど同じですが、どれも皆、見事な作品です。けれど、光琳や抱一のそれは、今の基準で評価すると、パクリになってしまう。炎上しちゃいますね。現在の創作においては、誰かと同じ表現は決して採用しない。いかに優れた先行作品があっても、それらはすべて過去のものとして棄却して、自分だけの表現に挑むことを良しとするものづくりが、西洋を基点とするものづくりなのです。今では日本でもそれが当たり前になってしまっている。けれど、そうした前例否定のものづくりを続けていると、どんどん継続性のない刹那なものづくりになってしまいますよね。20世紀に入って、便器を美術館に持ち込んだ人が現れた。それがアートだと言うのです。類例のない独創だけを求めると、行き着く先は珍妙で素っ頓狂な自己満足へと行き詰まるだけでしょう。

桂:言えますね。だけど今は難しい問題ですね。先人たちが積み重ねてきた技、つまり基礎的なことをやってるとみんなが嫌がっちゃう。

田中:明治になって、アートとかアーティストという概念が入ってきてきたのが問題なのでしょうね。日本人は、外からやってきた芸術や芸術家を一段上の存在として受け入れてしまった。だから芸術家が上に君臨して、職人はその下層に落とし込まれてしまった。他者に注文されてものをつくるようなことではダメなんだということになってしまった。冷静に考えるとおかしなことです。「人のためにつくる人」と「自分のためにつくる人」。どちらが偉いんだろう。今の私は、自分のために創る芸術家の方が、他者を思って作る職人より格下なんじゃないか、とまで思ってしまいますね。自己主張より他者尊重。その方がずっと尊い。だから日本の若きクリエーターたちも、俺たちは職人だと宣言して世界に打って出るとかね。お前たちのように自分のためだけに作品をつくるようなみみっちい作り手じゃないぞ、ってね(笑)。できないのかな・・・。(後編へ続く

 

 

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