連載

対論[第8話・中編]稲畑廣太郎×田中康嗣
この味が大事なんです

●歳時記を手元に考える

田中:そうした季節の移ろいを感じるということでは、暦を変えてしまったのは残念なことですよね。世界共通のカレンダーということで新暦つまりグレゴリオ暦を採用するのは致し方ないとしても、さまざまな行事までそれに合わせることはなかったのに。

稲畑:そうですね。新春であるお正月とか、桃の節句とか、端午・菖蒲の節句とか、皆季節がずれますものね。七夕なども、新暦の7月7日では、まだ梅雨の頃で星はまず見えない。

田中:お隣の韓国や中国では、新暦を採用しながらもお正月は今でも旧正月で祝っていますから、日本でも出来ることなのですがね。季節の行事は旧暦で、という運動を興したいですよ。

稲畑:一昔前までなら、サラリーマンで営業をされる方なんかはよくお得意様に手紙書いたりするような方がいらっしゃる。すると必ず文頭に季節のご挨拶を認めたものです。だから昔はそういった方々が必ず歳時記を買っていたという話しを聞いたことがあります。日本本来の、つまり旧暦の季節感で進む歳時記を見ながらいろんな挨拶文を考える。それでめぐる季節を実感する。

田中:今やそれもメールになり、SNSになり・・・。もはや冒頭の挨拶文などを書く人がいなくなってしまった。季節感もなく良き自然観もなく、それらを傷つける行為にも鈍感で、結果として持続可能な地球とはほど遠い暮らしになっています。

稲畑:めぐる季節だけではなくてね。例えば、日本人にはすべてのものに必ず精霊が宿っているというような思いがありますでしょ。アニミズム的な発想ですが、木や花はもちろん、海や川や、土や石にさえも聖なる魂がある。だから自然と対話すると言うときにも、その自然に宿っている精霊との対話なのです。あらゆる存在、有機物から無機物にいたるまで、すべてに神が宿っていると考える。

田中:そうした思考の完成形として「八百万の神」があります。

稲畑:そうです。だから、我々日本人は、物を壊したりすると、罪悪感に襲われますよね。それも壊したことを誰かに怒られる、というようなことではなくて、モノそのものに対する申し訳なさから来る罪悪感ではないですか?

田中:確かに。茶碗を割ってしまったら、なんだかとても(茶碗に対して)申し訳ない気持ちになりますね。だから一生懸命修理したりしますものね。

稲畑:そうです、そうです。

田中:金継ぎに出して、なんとか元通りに直そうとします。それで、その継いだ跡が良い景色になって、元のものより良くなったなんてことを言ったりします。あらゆる事物を慈しむ日本人の思考。その思いや考え方は、これもまた持続性にしっかりつながっていますよね。西洋の感覚ですと、割れたコップはゴミになって捨てられますから。

稲畑:そうですね。日本では、あらゆるものが、使い込むということによって、その価値を上げていきます。時を経ることによって味が出る。この味が大事なんです。

田中:本当にそうですね。今の欧米的考え方だと新しいものほど価値が高くて、時間と共にその価値はどんどん低下してゆく。けれど日本のものは、最初は大した存在ではないけれど、時と共にどんどん価値が高まっていく。まったく逆の思考法だなと思います。今、僕が使っている漆の器がありまして、高名な漆芸作家の方に分けていただいた飯椀なんですが、その先生に、この器も使い込めば味が出るんでしょうね?と問うたら、もちろんです、と。どれくらい使い込めば味が出ますか?と重ねて問うたら、そうだね、100年くらいすれば少し良くなるかな、って。

稲畑:長生きせないけませんね(笑)。

田中:はい。でも、それくらいのスパン、100年200年という時間感覚で考える、というようなことも、今の日本人には欠けている思考法ですよね。

稲畑:そうですよ。日本人は一つのものを長いこと伝えるでしょ。着物でもそうですものね。今でも着物好きな人は、若い方でも、これは祖母からいただいたもので、明治のはじめか江戸時代につくったものじゃないか、とかね。

田中:以前、結城紬の織元の人と話したら、結城紬なんかも一番良くなるのは三代ほど経過した頃だとおっしゃっていました。母から娘、娘から孫娘に亘った頃に艶が出て、良い風合いになってくるんですよって。そういう考え方には本当に持続性がある。

稲畑:そうなんですね。物を大事にするという心ですね。それが本来の日本人にあった素晴らしい特質であると思います。ところが一時期ね、使い捨ての時代があったでしょう。これはアメリカあたりからやってきた。どんどん使って、どんどん捨てて、またどんどん造れば良いのだと。

田中:大量生産、大量消費、そして大量破棄の時代。今でもまだ、我々の暮らしを取り巻くほとんどのものがそうですよね。普通に暮らしていると、使い捨てのものばかりです。私は最近、使い捨ての容器に入った飲み物はできるだけ飲まないようにしています。ペットボトルに入った飲み物とか、コンビニやチェーン展開しているコーヒーショップの飲み物はまず飲まない。けれど、使い捨ての文化は思いのほか現代社会に深々と浸透していて、使い捨てから距離を置こうとするととても厄介なことになります。

稲畑:使い捨てのプラスチック製品はあらゆるところにありますよね。避けられないことになっている。

田中:はい。でも、一昔前、僕や先生が幼い頃はそうではなかった。たかだか50〜60年前のことです。

稲畑:外で買う飲み物などもね。駅弁についているお茶でも、焼き物の容器に入っていましたからね。宅配の牛乳なども瓶詰めのもので、飲み終わったら瓶は回収されていましたからね。

田中:私は先生の二つ年下なんですけど、幼い頃に鍋を持って豆腐を買いに行っていましたから。今の感覚からすると驚くようなことかもしれませんが、事実そうだった。

稲畑:はいそうです。客の方が器を持って行くのですよね。

田中:それで、絹ごし一丁ください、と言ったら、店の人が手のひらに載せてすくった豆腐をその器に入れてくれて、客はそれを持って帰る。使い捨ての容器などまったく介在しないシステムができあがっていたのです。ところが、わずか半世紀の間にすべてが差し替わってしまい、今ではあらゆるものがポリエチレンやらポリスチレンやらPET樹脂などのプラスチック製の容器や袋に入っている。避けようのない状況です。

稲畑:そうですね。昔は駄菓子屋とかでね、ジュースやコーヒー牛乳を買ってね、空き瓶を返すと10円戻ってきましたよね。飲み物代に預かり金のように瓶代が含まれていて、瓶を返したら瓶代だけ戻ってくる。そういうシステムができていたのですがね。

田中:はい。だから、それぐらいのこと今でもできそうなのですけれど、なかなかできない。効率とか、コスト意識とか、人件費の抑制とか、売上や利益の極大化とか、そんな浅薄な思考、企業の論理などが障害になって、そんな簡単なことさえ出来ない世の中になっています。

稲畑:とどのつまりは、儲からないから、ということですよ。経済を回さなければダメだ、というようなある種の思考停止の社会になってしまっている。考え直さないといけませんね。地球環境の危機が迫っていて、感染症が蔓延して、人々の考え方も変わってきているのだから、この機会にね、もう一度考え直してね、もう一度やってみたらどうかな、と思うんですけれどね。

田中:今だけ、金だけ、自分だけ、ではなく、ですね。(後編へ続く

 

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