連載

対論[第8話・前編]稲畑廣太郎×田中康嗣
花鳥諷詠の心

遠山に 日の当たりたる 枯野かな(高浜虚子)
世界でいちばん短い詩、俳句。五七五のわずか17音で季節を詠み、想いを詠む。俳句の歴史は、室町時代に流行した、複数人で詩句を詠み合う連歌に遡ります。その後、江戸時代に松尾芭蕉が連歌の冒頭の発句だけを切り取り独立させ、明治時代には、正岡子規がその発句を「俳句」と呼び、新しい文学として確立させます。削ぎ落とされ凝縮された短い言葉に広がる無限の世界、日本独自の文芸である俳句は、いまでは日本のみならず世界中で愛されています。
今回は、正岡子規の高弟で、子規が創刊した俳句雑誌「ホトトギス」を引き継いだ近代俳句の巨匠・高浜虚子を曽祖父に持つ稲畑廣太郎さんにお話を伺いました。

稲畑 廣太郎(Inahata Kotaro)
1957年 兵庫県芦屋市生まれ。
近代俳句の巨匠・高浜虚子を曾祖父、俳人・稲畑汀子を母に持ち幼少の頃より俳句に親しむ。1982年 甲南大学経済学部を卒業し、合資会社ホトトギス社に入社、本格的に俳句を志す。
1988年 ホトトギス同人及び俳誌「ホトトギス」編集長に就任。 2000年 財団法人虚子記念文学館理事、2001年 社団法人日本伝統俳句協会常務理事に就任。2013年「ホトトギス」主宰に就任。
著書に『曽祖父 虚子の一句』。句集に『廣太郎句集』『半分』『八分の六』。2016年には第4句集『玉箒(たまははき)』を発表し「第2回 加藤郁乎記念賞」を受賞。

 

●花鳥諷詠が示す未来

和塾理事長 田中康嗣(以下、田中):稲畑先生が編集長を務めておられる「ホトトギス」、この12月(2021年)で1500号の発刊なのですね。おめでとうございます。

稲畑廣太郎(以下、稲畑):ええ、明治30年(1897年)の創刊から125年ですか、日本で一番歴史のある一般誌が「中央公論」で明治20年の創刊ですから、ホトトギスはそれより10年若い。誌名は正岡子規にちなんでつけられた文芸誌です。

田中:現在でも刊行されている世界最古の美術誌と言われるのが、岡倉天心らが創刊した「国華」で、明治22年(1889年)のことですから、日本には100年を越えて刊行をつづけている雑誌がとても多いですよね。

稲畑:はい。今、流行の「持続させる」ことが日本人はとても上手です。

田中:そうですね。栄枯盛衰の激しい雑誌出版の中でも、日本のそれは長寿なものが多いように思いますね。世界的にも、長くつづいている雑誌がこれだけたくさんある国は珍しいんじゃないかな。肝腎の日本人がその「国華」や「ホトトギス」のことを知らないのが問題。もっと知って、誇りに思って良いことだと思います。

稲畑:田中さんもぜひ「ホトトギス」のご購読を(笑)。

田中:はい。そうします。そこで、先生とお話ししたいのは、なぜ日本人はそんなに「持続させる」ことが上手なのか、ということ。ご専門の俳句の中から、永き持続へのヒントを見つけてみたいのです。

稲畑:田中さんは「花鳥諷詠」という言葉はご存じですか?

田中:高浜虚子の言葉ですよね。花鳥すなわち自然を詠む、それが俳句だと・・・。

稲畑:はい。昭和3年に高浜虚子がこの言葉を世に問うたのですが、そのときに一つ誤解が生じましてね、それは何かというと、「花鳥諷詠」というのは結局自然だけなのかというお話し。そこに人間がないではないか、という誤解が生まれた。明治以降、日本に大量に持ち込まれた西洋の思考では、人間を中心に据える発想が基点になるので、人間の営みとか人間の思いとか、そういったものがとても重要視される。

田中:それなのに君たちは花鳥風月だけなのか、みたいなことですか?

稲畑:そうです。俳句というのは、花鳥風月を諷詠するという意味なのですが、それを文字通りに理解して、花や鳥や風や月だけ、つまり人間を含まない自然だけを詠むのが俳句だ、という誤解が生まれたのです。虚子が言いたかったのはそういうことではない。その花鳥という言葉で象徴される自然の中には人間の心とか望みとか行いとか、人間のあらゆる営みも含まれているのですよ。

田中:それはそうでしょう。本来の日本人の感覚では、人間と自然は別の存在ではなかった。人間も自然の中に組み込まれたものですから、自然つまり花鳥の中には人間が含まれている。

稲畑:そうです。自然と人間というのは別に違うものじゃない。ところが、西洋の考え方では、自然と人間は別の領域に存在するもので、ある種対立するようなもの。だから、人間は自然を征服していくのだ、という思考があるのじゃないですかね。一方の日本では、人間つまり自分も自然の一部だと。だから、花鳥諷詠というのは、人間も含めた考え方なのですよ。

田中:俳句は自然だけなのか、というのは西洋的思考に組み込まれてしまった人々による誤解だった、と。

稲畑:そうです。自分も自然の一部であって、その自然と対話するという行為は自分自身との対話も含むわけで、そうしてその対話を通して、自然の声、自然の思い、自然の願いを聞いて、それで俳句が生まれる。だからね、良い俳句というのは、我々は授かるものだ、などという言い方をします。自分の中から起ち上がってくるというより、自分もその中にある自然から受け取るようなものなのですよ。つまり、自然と自分が調和していなければ、本当に良い俳句は生まれない。

田中:自然を統御したり、自然を人間の都合で改変したりするような思想では、良い俳句は詠めないのですね。自分と自然がひとつのものなら、自然を征服するようなことは人間つまり自分自身を蔑ろにすることになりますものね。地球の持続性を考えれば、どちらが良いかは明白な気がします。少なくとも花鳥諷詠が指し示す未来の方がずっと素敵です。

 

●季題と共に暮らす

稲畑:自然から授けられる俳句ということで考えると、それに一番適しているのが「季題に語らせる」ことです。季題に語らせて、多くを言わない。五七五という世界で一番短い詩であることの所以は、ひとつには季題というものがあるのです。季題に託したところに自分の心もあるわけで、自分の主観がその季題を通して伝わっていく。だから、表には主観は出てこないのです。客観写生になる。

田中:詩を読むのだけれど単純な主観の詩ではない。西洋の主観を最重要に捉えて創作する自己主張の文芸とは大きく異なるように思います。

稲畑:はい。主観はあるのですが、語らない。季題などの客観を通して主観を語るというか・・・。直接主観を語ったような俳句は、どうしても薄っぺらいペロンとした俳句になってしまいます。

田中:けれど単純な写生とも違う。明治以降、特に先の大戦以降の教育を受けた我々は、そこのところがとても難しいことになっています。自己を確立し、自分の思いを直接かつ的確に表現することを求められつづけていますから。個性を重視し、人と異なる視点や思いこそが尊重される西洋的自我や独創性に組み込まれている今の日本人に客観写生というのは理解するのも実践するのもたいへんなこと。江戸の頃の日本人ならもっとすんなりできたのかもしれない。

稲畑:そうかもしれませんね。でもやはり、元々ある言葉や精神は、そんなに変わってないとも思います。日本人が何より大事にしてきたものは。我々が大切にしてきた季題もおおもとには四季で移ろう豊かで厳しい自然というものがあるわけですね。それが海外、特に欧米の人々にはなかなか理解が出来ない。七十二候にも仕分けた本当に繊細な季節の移り変わりです。

田中:自然と対峙するのではなく、それと一体化してきたからこそ会得できる細やかな自然観ですね。

稲畑:母の稲畑汀子がドイツに行ったときに、季節がちょうど秋の頃だったので、秋の季題の話しになった。晩秋の冬を目前にした寒さを表す言葉としての季題。たくさんあるんですよ。秋寒とか朝寒、やや寒、うそ寒、露寒、そぞろ寒、夜寒、肌寒・・・。全部歳時記に載っています。全部秋の季題です。ところが、これを通訳の人がなかなか訳せないのです。

田中:勉強不足だと怒られそうですが、欧米の言語にそんなにたくさんの寒さがあるとは思えませんものね。

稲畑:そうです。しかも、そもそも彼らの感覚ですと「寒い」というのは冬のことで、それを秋の言葉だと言われても理解出来ない。晩秋に感じる次の季節の気配のような微妙なニュアンスはわからない。別の機会ですが、やはりドイツで春三月の頃に句会を実施した。ドイツは結構寒い土地柄ですから、その時ちょうど雪が降っていた。それで、句会のお題を「春の雪」にしたんです。そうしたら地元の方はね、それはあり得ない、とおっしゃる。春には雪は降りません、と。春の雪などというものは存在しないんだとおっしゃるんです。雪が止んだら春になるのだと。それだけ違うんですね、自然観が。

田中:とても興味深い話しですね。西洋・欧米の自然観はやはりどうしても人間中心に見える。あくまで人間が考えたルールに従って自然を把握している。気温が下がれば冬になり、雪がやんだら春になる、と。功利主義というかプラグマティズムというか。いずれにしても、人間の思いや行動がまずあって、自然はそれに従属している。

稲畑:はい。日本人というのは、本当に繊細に自然と対話をして、それを愛で、それを友として遇し、多くがその摂理に従う。対して西洋の方々は、何というか、やはり自然を支配している感じですよね。

田中:今、温暖化による地球環境の激変が人間の生存をも脅かしている。自然に対峙して、それを人間が征服し、あるいは統御する、といった思考では、結局人間自身が持続できなくなっているのですから。日本人が古来から保持している自然観が、今こそ世界にとって必須の思考法なのではないかと思います。

稲畑:今はね、気候にしてもね、昔は細かい四季のあった国が、なんだか二季みたいなっているでしょ。暑いか寒いかの二択のような。何とかしないといかん。

田中:季節感がどんどんなくなっていますものね。食の世界でも「旬」というものがほとんど感じられなくなっています。一年中トマトが食べられたり、真冬なのに苺が店頭に並んでいたり。人々が望んだことなのですが、そうした望みが叶うことが良いことなのか。

稲畑:だからね、少し手前味噌なことですが、皆さんに俳句を楽しんでいただきたい。俳句を通してね、季題を学んでいただき、季題から失われた自然の営みをもう一度感じていただき、その自然に組み込まれている自分を自覚していただき、季題を元に世界を詠んで欲しいと思います。今、都会の中に暮らしていると大自然の営みとは縁遠いことになりますよね。けれど、俳句を楽しんでいただければ、その中に本当に豊かな自然があるわけで。ビルに囲まれた暮らしの中にも見つけることはできるのですよ。歳時記にある言葉をきっかけにして、花や木の色味とか、鳥の声とか、風の薫りとか、月の満ち欠けとか。花鳥諷詠の心さえあればね。歳時記を手許に置いて時々眺めるだけでもいいんですよ。(中編へ続く

 

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