連載

対論[第5話・後編]鶴澤寛也×田中康嗣
文化を伝える箱

●大事なのは伝えること

寛也:日本文化、特に伝統芸能の世界で一番大事な仕事はバトンタッチしていくことですから。先達から受け継いだ芸を、自分のものとしてとことん突き詰めて、それをつづく人につないでゆくこと。

田中:持続継承してゆくことに一番の価値を置いている。自分だけの表現を突き詰めるのとはまったく違いますね。大事なのは伝えることだ。プレイヤーたちに伝えてゆくことと同時にオーディエンスにも伝えてゆかねばならない。送り手ばかりが頑張っても、受け手がついてこないと成立しない。今は特に客席の方が芸のことをまったくわかっていなかったりしますからね。

寛也:私もそうでしたが、邦楽に触れるチャンスがものすごく少ないですしね。それと今はみなさんすごく忙しいから、初めてだからよくわからなかったので、もう一回見に行ってみよう、などということがまずない。一度見て、理解できなければ、二度とこない人が多いです。インターネットの時代が到来して、その傾向はますます高まっているように思います。

田中:分からなかった人はもちろん、少し分かった人でも二度目はほとんどない。次はまた新しいものを見てみたい、と。お能も歌舞伎も文楽も、一回ずつ体験してもうそれで充分だという人々がたくさんいますよね。新商品を次から次へと消費していくようにね。けれど、日本の文化は、伝統文化は特にそうですけれど、学べば学ぶほどどんどん面白くなる。初めての時はいささか難解でも、奥へ進めば進むほど感動も喜びも増えてゆく。西洋のエンターテイメントは、概ね初めてでも楽しめます。予習なしで見に行っても楽しめる。けれどね、それはつまり、底の浅い、薄っぺらいものだからなのですよ。ペラペラな張りぼてだ。いい大人がそれではダメです。

寛也:それはちょっと言い過ぎだと思うけれど(笑)。最初にお能を見るときなども、本当はその演目の詞章を丸読みして、すべてを理解して能楽堂に向かうくらいじゃないとね。村上湛さんから、学生に課外授業で能を見せるとき、授業であらかじめ詞章を全部勉強して、意味を調べて、謡の稽古までして、そこまでやって能楽堂に連れてゆく、という話しをうかがったことがあります。だから、学生は、初めての能舞台鑑賞なのに、誰ひとり寝落ちしたりしないそうです。村上先生は、そこまでやらないとかえって嫌いな人を増やすだけだから、やるならそこまでやらなきゃ駄目だ、とおっしゃる。私も実演の前に床本を丸読みして、ホワイトボードを借りて、登場人物の関係図などを書いて、演目のすべてを説明したことがあります。お客さまには大好評で、すごくよく分かった、と。とても喜んでいただけた。私の方は、演奏を始める前に既にクタクタでしたけれどね。

田中:さすが村上先生ですね。確かに、そこまでやれば舞台に没入できる。日本の芸能は、鑑賞前のインプットがとても大事だということでしょう。けれど、それを初心者に強いるのは難しい。ほとんどの人が、インプット不要の浅薄なエンタメ希望ですから。僕が伝統文化のターゲットを「ものの分かった大人」に絞り込んでいるのも、そうした事情があります。能楽などでも、プレイヤーたちがよく、若い方々にもぜひ観て欲しい、などということをおっしゃっていますが、無理だと思う。TikTokが競合ですから、伝統芸能に勝ち目はない。「大人になったら、能楽堂へ」といったアプローチの方がずっと有効だと思いますよ。

寛也:そうかも知れませんね。インターネットの普及以降、お客様も変わってきているように思います。もちろん悪いことばかりではないのですが・・・。

田中:そんな時代に大切なことを伝えてゆくのは苦労がありますね。結局、明治・大正や昭和も戦前まではあった共通の知識、教養といったものが、現代に引き継がれていないことが大きい。幼い頃から接する情報の領域が大きく変わってしまった。貴重な民族文化の基盤をスクラップしてしまったのです。新たにビルドしたのは、アメリカやヨーロッパから都合良く移入した借り物の文化だ。嘆いていても仕方のないこと。もう一度自分たちの文化へと組み直す仕組みをつくってゆく必要があると思います。欧米の文化をも組み込みながらね。日本人はずっと昔からそういうことを繰り返してきたのですから。

寛也:組み直すために伝えることが大事ですね。確かに苦労も多いのですが・・。

田中:言いにくいことかも知れませんが、その苦労の半分くらいは送り手の側の問題が原因になっていることもあるのではないですか? ズケズケ主張しない、クドクド説明しないことを良しとする奥ゆかしき文化文明。それが我ら日本のあり方だ、というようなことですが・・・。

寛也:ええ・・・・。ただコロナ禍のおかげ(?)で、かなり動きやすくなってきているように思います。

田中:僕も伝統文化のお手伝いをしていて、たびたびその「奥ゆかしさの壁」に突き当たることがあります。メディアに伝統芸能の若手の露出などを計画すると、まだまだ修行中の身だから、という理由でキャンセルされたり、集客を目指してインパクト重視のビジュアル案を提案したら、まったく受け入れていただけなかったり。そうしたアイデアが、本質とは距離のある、いささか浅薄なものでもあることは重々承知しているのですが、時代に合わせたアプローチも必要だということであえて提示している。けれど、日の目を見ないことが多いです。

寛也:妙な主張をするより、自分が勉強して精進して立派な舞台を務めていればお客さまはついてきてくれる、という考え方ですから。一昔前は、名刺すら持っていませんでしたからね。

田中:それもまた真実ではあるのですが、「乱れて盛んなるより堅く守る」ことだけを突き詰めて良いのか、と思うこともあります。なんだか矛盾するようですが、その奥ゆかしさの意味や論理を人々に発信することはできないものでしょうかね。主張しない美学を主張する

寛也:それは大変・・・。ぜひ挑戦してみてください(笑)。でも、そうしたさまざまなアプローチで人々に伝えることは本当に大切です。私たちの芸能というものは、工芸作品などとは違い、今ここで今を生きる誰かに観てもらわなければ成立しないものですから。

 

●文化を伝える箱

田中:今のこの、持続性のない時代の中で、伝えることの重要性は、ますます高まっていますね。難しい問題も山積していますが。

寛也:そうですね。でも、私はそもそも自分自身が、「伝えるための箱のようなもの」だと思っていますから。

田中:伝える箱?

寛也:はい。何か演奏をするとき、自分が主体となってその曲を奏でるのではなく、自分は媒体となってその曲を伝えている感じです。例えば、『菅原伝授手習鑑』の寺子屋という演目があります。竹田出雲や三芳松洛らの合作で、初演は江戸時代中頃、大坂竹本座でのこと。寺子屋はその四段目で、初演当時から大当たりとなってロングラン、すぐに歌舞伎としても上演され、こちらも大当たり。以来、幾多の名人上手が300年近くも公演を重ねている名作中の名作です。私たちはそうした歴史と先人たちの業績を積み重ねた名作を、あくまで媒体となって今のお客さまに届けている。それは、寺子屋という演目を自分なりの解釈で自分の表現として演奏しているのではなく、文化を伝える箱となって、寺子屋のような大切なものをその箱の中に入れてお客さまに届けているのです。もし演奏に個性が出るとしても、それは伝える箱の形や大きさや素材が違うから結果的に個性が生まれるだけで、その思いの根本は、つなげてきた文化をそのままの形で次へと伝える箱なんだと。

田中:西洋的発想での楽器演奏とは大きく異なる身の置き方ですね。

寛也:はい。でも、そうでなければ、300年以上も前の作品を今の時代に演奏する意義だとか、男たちの芸を女たちが取り組む意味とかをうまく説明することが出来ないと思うのです。それがアーティストによる自己表現であるなら、寺子屋である必要はない気がして・・・。

田中:人間から人間へ、伝えてゆく、つなげてゆく、そんなシステムこそが、日本の伝統芸能の存在理由でもありますからね。

寛也:そう。例えば、私たちは師匠と弟子という関係で芸をつないでいっている。近代的な先生と生徒とは少し違うニュアンスです。師匠と弟子は、繋がりがものすごく深くて、師匠は弟子の人生全部に責任を持つ、みたいなつながりが実際にある。だから、未熟な弟子が飛び級のようなことを求めても、その将来を考えて、あえて認めないというようなことがよくあります。積み重ねていく大事さを知っているから、飛ばしてしまえば、結局は自分が苦しくなるというのがわかっているから。そうして、その師匠にも師匠がいて、さらにその師匠もいて、それぞれの師は弟子たちへと伝統を伝える箱に過ぎない、というのが日本の芸能の考え方なのかなと思います。

田中:なるほど。皆が箱であることを意識していたからこそ、連綿と伝えることができた。自分は箱じゃなくて中味だ、と思ってしまったら、つながりは途切れてしまいますものね。しかもそれは没個性ということでもない。ひとつひとつの箱は異なるのだから、個々の色味は自然と滲み出る。多彩でありながら継続性もある。伝える箱だという考え方は、持続可能性を考えるときにも強力なヒントになる気がしますね。

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撮影:井手勇貴

 

 

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