日本文化市場論 第十話

日本文化について考えてみる。第十話

第一話「往復書簡の趣旨」
第二話「閉じられた衰退市場」
第三話「厄介なスパイラル」
第四話「中心的価値と新機軸」
第五話「守ることは眠らせることじゃない」
第六話「東次郎の挑戦」
第七話「動的な定義」
第八話「共通理解と許容範囲」
第九話「洋と和のポジション」

第九話、いよいよ議論のテーマが「競争戦略とポジショニング」に転じました。今回は論点提示を受けた日本文化のポジショニング論。なぜ日本の文化がこんなにも衰退してしまったのか。それを幕末明治の市場状況から解き明かします。刺激的な見解が続きますね。日本文化をマーケティングすると、いろんなことが見えてくるものです。

和のポジショニング論。こうぢ君の返書です。ちょっと長いが、読み応えあります。

トール殿

拝啓
そこに洋が現れたとき、我々は和を手にした。しかもアプリオリにネガティブだった、なんて。その上、もしそうだとすれば、日本文化には「存在意義はなく未来は絶望だ」とおっしゃる。日本文化インナーサークルの人びとが聞いたら卒倒しそうな見解ですな。でも面白い。確かに日本文化はそうしたポジションにあると言えなくもない。新しくカッコイイ「洋」に対置された古くてダサい「和」ってわけですな。慧眼だと思う。

今年の大河ドラマは坂本龍馬で、その少し前には「坂の上の雲」の人気などもあり、日本の人びとは本当に幕末維新の群像が好き。民主党による政権交代が平成維新だ、なんて話しもあって、この傾向ますます盛んに見えます。素晴らしきヒーローたちの時代。最高のチェンジを成し遂げた強く一途な人びと。ともかく幕末維新の志士たちは評判がよろしい。でも、物事には常に功罪両面があると思うのです。なのに明治の維新とその後の新しい国づくりの「罪」の部分ってほとんど触れられることがないと思いません?
こと文化の側面で眺めると、明治の維新と建国の「罪」は致命的だったように思う。当時の指導者たちにとって、新しい日本国が正しいものでなければならなかったのはわかりますが、勢い余ってそれ以前の日本のすべてを否定してしまった。ちょんまげと一緒に当時の世界においても特筆すべき完成度を見せていた高度で豊かな独自の文化まで切り落としてしまったのです。その結果が、貴殿ご指摘の「古くてダサい和」だったのでしょう。日本固有の文化はこの時点から、戦時の揺れを組み込みつつ、否定・縮小・排除・崩壊の道を進み続けてきた。150年ほどを経て今日のこの悲惨な現状に至っている。

ポジショニングということで言えば、明治をつくった人びとが、自らの行為を正当化しその活動にすべての日本人を引き入れんがために、それまでに存在したすべてのものを「旧弊で不格好」という地位に落とし込んだ。旧態依然とした確かに良からぬものだけでなく、時代を超えて評価されるべき良き存在までひとくくりに定位させたんですね。ちゃんと「仕分け」をすれば良かったものを、そんなこと一切頓着しなかった。全部まとめて「文明開化」すべきもの、と置いた。もっとも、江戸期以前の事物を、ひとつひとつ改革すべきものと残すものに仕分ける、なんてことに着手していたのでは、維新など成就しなかったともいえますから、憧れのヒーローたちを罪人扱いするのも可哀想ではありますが・・。
その上、彼らにとって好都合だったのは、対置された「洋」がまことに新奇で強く大きい存在だった。庶民に至るまですべての日本人がこのポジショニングを積極的に受け入れる強力なブランド・パワーが「洋」にはあったのですね。その結果「維新以降の日本人にとって、徳川期は一刻も早く忘れ去るべき愚かでおくれた時代(渡辺京二)」と位置づけられた。人々はこぞって「洋」へと突き進んだ。冷静にその善し悪しを判定するようなことがとても難しかったのでしょう。鹿鳴館での舞踏会、なんてものがその象徴的な出来事で、冷静になるとかなり恥ずかしいことをやっている。失笑している欧米人の前で似合いもしない洋装を身にダンスに興じる日本人。滑稽極まりない(文化的)植民地の精神構造ですが、当の本人たちはまったく真剣だったのでしょう。その血を引く我々自身、いまだに同じ精神構造を持っているんじゃないかと、背中に汗がにじみますね。

けれど、こうした内外文化のポジションも、大きなスパンで眺めると変位することがあるようです。例えば、隣国、中国・朝鮮の事物。それらは奈良・平安から鎌倉期あたりまではそれこそ「新しくてカッコイイ」存在でありつづけていた。が、室町期あたりから、日本独自の事物がそのポジションを浸食する。今に至る日本の伝統文化の多くがこの頃生まれているのです。能楽・茶道・華道・香道・書院造り・連歌・・。当時もっとも「新しくカッコイイ」のは、床の間のある書院造りの会所に集まり連歌や闘茶(後の茶の湯)、能楽の鑑賞、月見などに興じること。会所には花が飾られ、香が焚かれた。平安時代、寝殿造りの邸宅にある池に舟を浮かべ、詞歌管弦に興じたのとは大きく趣が異なります。もちろん、鹿鳴館の舞踏会ともまったく異なる。勉強不足が露呈するのであまり詳しくは述べませんが、このように「和」が比較的ポジティブなポジションを占める状況が、室町期以降江戸の終末まで続いたのでしょう。そして、例の明治維新。ここで「和」のポジションは再びネガティブに転じる。

こうしてみると、異国モノと和モノのポジションは、繰り返し「格好良くて楽しい」と「不格好で退屈」の間を揺れ動いているのかもしれない。「和」のポジションは、奈良・平安のネガティブから室町・安土桃山・江戸のポジティブに、そして明治以降のネガティブに、と。してみると、平成維新は、三度目の変位期だったりして。社会の価値観が動き始めている現在は、既存のポジションを変位させるチャンスでもあるのでしょう。ポジショニングの軸が揺れ始めている。それが今なんじゃないか。

さてでは日本文化のその悲惨なポジションをどう変位させるかです。成功すれば、貴殿ご指摘の通り「本質的な価値は変えずにポジショニングを変えることで競争力を高める」ことが可能となる。
別の軸を設定するというのはどう? 対立項目である「洋」の占める象限を「新しくてカッコイイ」から例えば「非人間的で反自然環境的」に移し替える。「洋」が志向してきた物事って、そう言えばともかく人間にとって優しくない。エコだエコだと叫びながらいちばん環境を破壊してきたのも「洋」の文明ですから。最近そうしたことに気づき始めた人が多くなっている気もします。実は、幕末、日本という新市場に参入してきた外国人に既にそうした自覚があったことがわかっている。江戸幕府と通商条約の交渉にあたったハリスの通訳ヘンリー・ヒュースケンはその日記に次のように記しているのですよ。「いまや私がいとしさを覚えはじめている国よ。この進歩はほんとうにお前のための文明なのか。この国の人々の質樸な習俗とともに、その飾りけのなさを私は賛美する。この国土のゆたかさを見、いたるところに満ちている子供たちの愉しい笑い声を聞き、そしてどこにも悲惨なものを見いだすことができなかった私は、おお、神よ、この幸福な情景がいまや終わりを迎えようとしており、西洋の人々が彼らの重大な悪徳(=非人間的で反自然環境的)をもちこもうとしている」と。「洋」がそうであるなら、対する「和」のポジションは、「人に優しく、環境にも良い」というポジティブなところを確保できます。・・でもこれ、文化のポジショニングとしてはちょっと相性が悪いですか。
もうひとつ別の軸。「洋」のポジション「新しくてカッコイイ」を「底が浅くて刹那的」に移し替える。ジェームス・キャメロンのアバターもラスベガスのシルクドソレイユも、ど派手なだけで浅薄だと思いません? ディズニーランドで若い一瞬を消費するのもイイのですが、前にも後ろにもつながらない。それに比べて日本の文化は深さが違います。その気になれば、前後に重層的な体験が連なります。和塾の活動は既に7年目を迎えているのに、いまだ我々は日本の文化をつかみかねている。深いんですな。深すぎる。投扇興を学べば源氏物語を学びたくなり、俳句のコンセプトが禅の庭造りへとつながる。まことに継続的・重層的です。まあ、だから敷居が高くて取っ付きにくいのだ、って意見もありますが。

どうもまだ、これで決まり、ということにはなっていませんが、この議論、可能性を感じますね。「和」と「洋」を対立項目としてポジ・ネガに定位させる以外にもいろいろありそうです。双方ともポジティブでありながら異なるポジションにある、という方向なども探ってみたい。
ポジションを変えて競争に勝つ。本質的価値の周辺をぐるぐる回るよりずっと良い気分ですな。

ま、今日はこんなところで。
紙数も尽きてきたので、盛り上がったところで後を預けます。

敬具

※次回はトール君の返信。1週間以内に返すがルールとなってます。お楽しみに。
※ご意見ご感想お寄せください。

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