日本文化市場論 第二話

日本文化市場論 第一話

前回の日本文化市場論第一話は、この企画の位置づけでした。
衰退の憂いを抱える日本の伝統文化に、マーケティングやコミュニケーションの視点から何か再活性化の手がかりを見つたい。そのために、A:今日的な自助努力の方向を見出し、B:より多くの人が、素晴らしい広がりと奥行きを持つ日本の文化に、より日常的に触れて行ける機会を作り出す方途を探る。
といったところがこの往復書簡の目指すところ、というわけ。

ではこの第一信に対する復信。いよいよ具体的なお話しが始まるようです。

日本文化について考えてみる。第二話

トール殿

拝啓
往復書簡の趣旨、よくわかりました。さて、どう転がっていくのか、楽しみでもあり、恐ろしくもあり・・・。これまで日本の素晴らしい文化からたくさんのことを学んできた和塾も、ここらでそろそろ、自ら発信・発言することを始めねばならないのじゃないか。この書簡がその手始めの好例になれば、と思います。

で、理論派・前段屋の初信を受けて、武闘派・着地屋の当方は、少し具体的な話しから始めようと思います。平日の昼間、当方突然「能」を観に行ったりしている。その時の話しです。

先日出かけたのは、文京区にある能楽堂。都会のビルの谷間にある小さな箱。当方開場の少し前に到着したのですが、入口前には既に何名かの能楽ファンがやって来ていた。和服のご婦人などもいて、少し華やいだ雰囲気です。どう見ても「能楽好き」には見えない当方をちらちら横目で見ている感じ。
指定の席に着いたところで驚いた。席数は400〜500といったところですが、ほぼ満席なんですな。平日の昼間ですよ。開演前の客席にはワクワク気分が充満している。橋懸かりからの役者の出を今か今かと待っている。番組が始まると、もう皆真剣です。睡魔と戦っているのは私くらい。終演後は、興奮冷めやらぬ様子で、皆のお喋りが最寄りの駅まで続いています。
つまり、どういうことかというと、能楽は一見大いに盛り上がっているのですよ。着飾ったお客様は皆満足しており、そうした熱心なファンに囲まれた演者たちも、きっと充実した時間を楽しんでいることでしょう。古典芸能はファンが減少しつづけていて今後が心配だ、などという話しを聞くことがあるのですが、劇場ではそんな心配など他人事のよう。立派に盛り上がってるじゃないですか。

だけど当方には、なんだか違和感があった。歌舞伎座などでも少しく感じる違和感です。古典芸能系の公演に共通した妙な感覚。これはいったい何なのか?

もう随分昔のことになりますが、ある格闘技イベントのマーケティングに関わったことがある。K-1とかPRIDEなどの新興格闘技が生まれる直前のことです。現場を見なければ始まらないと思ったので、一度も行ったことのない後楽園ホールに出かけてみた。後楽園ホールといえば、当時の格闘技の聖地です。・・いやぁ、盛り上がっていましたよ。カップ酒飲んでるオヤジとか、格闘技オタクの青年とか。絶叫して応援してたり、必殺技の歴史的解釈を論じていたり。ほぼ満席の会場は、妙な熱気にあふれていた。日本の格闘技は人気激減で存亡の危機にある、などというオリエンを受けていたのだが、現場はそんなこととは無縁でした。

日本の格闘技(プロレスやプロボクシング)は、ご存じのように戦後庶民の娯楽として大人気を誇っていた。国民的ヒーローもたくさんいた。が、その後他の娯楽に押され、人気は右肩下がりに落ち続け、当方が関わった頃がちょうど底値の状態。テレビ放映なども深夜だけとなり、ファンの数も激減しており、開場は閑古鳥が鳴いているのかと思ったら、この有り様。正直驚いたのを今でも良く覚えています。

だが、ここでも私は違和感を感じた。なんだか落ち着きの悪い妙な感覚です。この墜落寸前の格闘技で感じた違和感と、能楽堂での違和感。同じなんですよ。

閉じられた衰退市場。そんな用語があるのかどうかは知らないが、まさにそんな感じ。内部は見事に盛り上がっているのだが、入口はすべて閉じられていて、部外者は立ち入りお断りの市場とでも申しましょうか。そこではファンとしての姿勢が問われますから、いい加減な俄ファンなどがこの市場に入っていくと、ヘビーユーザーなコアファンの白い眼を覚悟しなければなりません。後楽園ホールではほろ酔いのオヤジの、能楽堂では着飾ったおばさまの白い眼です。わかってない野郎は来なくて良い、という空気。知識の薄い素人には入り込むのに勇気が必要。素人のままうかつに参入すると、良くて違和感、悪くするととてもイヤな思い出と共に、再び行こうとは絶対に思えない市場です。送り手の側も、こうしたコアなファンを前提として行動しますから、コンテンツの非一般性は放置され、新規顧客の満足など考慮されることがない。

そして、この「閉じられた衰退市場」には、大きな問題がさらに二つあります。
第一に、当事者たちの”気づき”がないこと。ホールや劇場の中、つまり当該市場の内部では、状況それなりに盛り上がっていますから、送り手も受け手も危機を感じない。まだまだ全然大丈夫だと思っている可能性が高いのです。外から眺めるとほとんど終わっているにも関わらず。何か策を講じる場合も、この内部の気づきのなさは、ご存じの通りやっかいなことです。
もうひとつは、さらにやっかいです。マーケティングでは原則的に既存顧客は大切にするものですよね。特にコアなファンをないがしろにしたりすると、必ず失敗する。ところがこの「閉じられた衰退市場」では、そのコアなファンが応援すればするほど、周縁の顧客は困惑し、新規の顧客は参入をためらいます。あの頃の後楽園ホールでも、今の能楽堂でも、熱心なファンがロイヤルティーを示せば示すほど一般人は引いていく。(だってコワイんだもの)つまり、既存顧客に配慮すればするほどその市場が衰退する。恐ろしい状況です。

あまり長々と書き連ねるのも何ですから、今回はこのあたりにしておきます。初手からちょっと重くなりすぎましたかね? だがこれも、日本文化のひとつの現実ではあると思います。
貴殿も一度、平日の昼間の打合せなどを飛ばして、お近くの能楽堂などにお出ましください。衰退市場の問題の重さ、実感いただけると思いますよ。

今日はこんなところで。

敬具

※次回はトール君の返信。1週間以内に返すがルールとなってます。お楽しみに。
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第三話