連載

vol.11 京舞人間国宝・井上八千代(3)

◆曖昧模糊の美

見渡せば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮れ

二十五歳の藤原定家が、西行が奉納する「二見浦百首」に寄せた作品です。新古今和歌集にも採録され、『三夕の歌』として知られるこの和歌は、日本の中世の美意識を提示する画期的な作として知られています。複雑な感傷がこもるこの歌は、華やかなものの不在によって、かえってその豊かな精神世界を表徴します。そこには、花も紅葉もないのです。あるのはうらぶれた漁師小屋だけ。夕陽が、落ち着いた清らかさで辺りを照らしています。

田中久文はこの歌について『ここでは、花・紅葉の否定が、より高次な美に到達するための階梯として解釈されている』と言います。唐木順三によれば、それは『無を媒介にして有をみる』ということであり、兼好法師の『花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは』という思いに通じるものです。

八千代先生は語ります「身体で感情を伝えるとすれば、あからさまじゃないほうが伝わるんじゃないかな。抽象的な動きの中に人の思いがかえってある。削ぎ落とした動きの中にこそ思いが込められる。ただ歩いているだけとか、ただ回っているとか、そういうような舞の中にこそ、感情的な盛り上がりを見せることができる。表に出すより内に込めた方がより強くお客様に伝わるんじゃないかという気はいたします」と。

「舞を舞ってるとき、そこに風が起こるわけでもないし、雨が降るわけでもありません。けれどお客さまはそこに風を感じ、雨を見ます。無いものを見せる、無いからこそ見える。それが目指すところです。そのためには、隙間を埋めてしまわないほうがいいものです。それはつまり、自分を取り巻く何もない空間みたいなものも含めて舞っているということ。私自身が動いてる所だけじゃなく、何もない周りの空気も含めてご覧いただけるようになればいいなぁと思うんです」

舞台の上に説明的な書き割りを置いたり、特殊効果や映像で情景を補足するのではなく、むしろそうしたものを削ぎ落とすことでかえって豊かな情感が引き出されることがある、ということ。もちろん、客の側がしっかりと舞や曲に寄り添わなければ、それは見えてこないのかもしれません。けれど、ひとたびそれを見ることができれば、特殊効果や映像によってわかりやすく見えるものより、ずっと豊かで深い感動がある。わかりやすい芸能を見ているだけではたどり着かない、流行のエンタテインメントだけでは見ることのできないすてきがそこにあるのです。

日本の芸能に共通するこうしたある種のわかりにくさ、とっつきにくさは、どこから来るものなのでしょうか。八千代先生によればそれは「曖昧模糊な部分がすべてに残る、揺らぎを残している。そういう日本らしさ」に因のあること。「音楽でもそうですよね、同じ間合いでテンポを勘定するんじゃなくて、どこかでためをつくり、少し運んだら、さらにためるとか。(西洋のリズムのように)一拍・二拍・三拍と、同じ距離感の中で、同じ間合いで運ぶということは、我々にはないことです。歩みひとつをとってもどこか緩急があります。音なども鮮明なだけがいいというわけじゃない。日本の音にはちょっと濁りがある枯れたような曖昧な音が良いということもあるのです。それこそが、日本の芸能の豊かさかなと思うんです」

ただそれは、直線的で等間隔でわかりやすいエンタテインメントに慣れてしまった私たちには、少しわかりにくい。けれど、ほんの少し寄り添って先生の舞を見れば、それまで感得することのできなかったものがそこにあることに気付くはずです。八千代先生は言います。「舞は確かに少し辛気臭いものですけど、心を近付けてご覧いただければ、噛めば噛むほどおもしろいところがあるのですよ」

京舞は、なかでも地唄や上方唄による舞には、そこにわかりやすいストーリーなどないことが多いものです。だから舞い手は、自分なりの物語を紡ぎながら舞うのです。舞い手が違えば物語も異なる。「そこに決まった物語があるんじゃなくて、舞手の中に物語ができてくるということかなと思ってます」だから、「やはりご覧になってる方も、物語を自分の中で紡ぎながらご覧いただきたいと思います。そこには、舞手とお客さまの思いの架け橋が現れます。それが京舞であり、曖昧模糊とした日本の芸能の素晴らしさやと思います」。

 

[連載一覧]田中康嗣(和塾 理事長)・日本の宝 日本を語る
01 漆芸蒔絵人間国宝・室瀬和美(1)
02 漆芸蒔絵人間国宝・室瀬和美(2)
03 漆芸蒔絵人間国宝・室瀬和美(3)
04 漆芸蒔絵人間国宝・室瀬和美(4)
05 能楽囃子小鼓方人間国宝・大倉源次郎(1)
06 能楽囃子小鼓方人間国宝・大倉源次郎(2)
07 能楽囃子小鼓方人間国宝・大倉源次郎(3)
08 能楽囃子小鼓方人間国宝・大倉源次郎(4)
09 京舞人間国宝・井上八千代(1)
10 京舞人間国宝・井上八千代(2)
・11 京舞人間国宝・井上八千代(3)