連載

vol.08 能楽囃子小鼓方人間国宝・大倉源次郎(4)

◆翁のいる国――
能の演目の中で唯一未来を描くものがあります。「翁」です。その成立は、遅くとも平安時代末期から鎌倉時代の初頭と考えられ、世阿弥による能の大成以前から、能の前身として演じられていた芸能です。

その初期形態は、寺院で年頭に行われる、天下泰平・国土安穏を祈念する修正会に出仕する法呪師や呪師による芸。その発祥の一つとされるのが奈良県にある多武峰妙楽寺(談山神社)の常行堂での修正会です。源次郎先生も参画され、平成二十三年から開催されている「談山能」でも、毎年この「翁」(観世宗家監修による『多武峰式翁』)が、奉納されています。

「翁」はただひたすらに、天下泰平・国土安穏・千秋万歳・五穀豊穣を祈るもので、千歳と翁と三番叟の舞によって構成されています。囃子方もこの曲に限り烏帽子と素袍を身につけ、小鼓方は三人が舞台に出て演奏します。その詞章の冒頭は「とうとうたらりたらりら、たらりあがりららりとう」という不思議な言葉の連なり。すべてが異色な演目。だから「翁」は「能にして能にあらず」と称されるのです。

源次郎先生によれば、「翁芸能というのは天地開闢を舞台の上に表現するもの。何もない檜の舞台に松だけがあって、そこにさまざまな神さまや仏さまの名前を冠した役者が出てくる。現在の舞台に現れた神や仏は、ここに集う人々と共に幸せを願い、皆が笑顔で暮らせる明日をつくりましょうと、舞いそして謡う。つまり翁芸能のなかには、過去・現在・未来のすべてが入っているわけです。そしてそれは、豊作を祈る予祝芸能でもあった。すてきな未来を、豊かな恵みを皆で祝う。それが「翁」なのです」

談山神社の舞台で「翁」を観ました。舞台の上の源次郎先生が、大海に轟く掛け声を発し、千歳と翁と三番叟が、言霊の国の言の葉を言祝ぎ、それぞれがそれぞれに舞い、神と仏と人間の笑顔に満ちた未来を描いていました。それは、能と伝統とこの国の、すてきな未来を実感できる舞台でした。

<完>

 

[連載一覧]田中康嗣(和塾 理事長)・日本の宝 日本を語る
01 漆芸蒔絵人間国宝・室瀬和美(1)
02 漆芸蒔絵人間国宝・室瀬和美(2)
03 漆芸蒔絵人間国宝・室瀬和美(3)
04 漆芸蒔絵人間国宝・室瀬和美(4)
05 能楽囃子小鼓方人間国宝・大倉源次郎(1)
06 能楽囃子小鼓方人間国宝・大倉源次郎(2)
07 能楽囃子小鼓方人間国宝・大倉源次郎(3)
・08 能楽囃子小鼓方人間国宝・大倉源次郎(4)