連載

vol.08 柏「竹やぶ」阿部孝雄の そばがき

「そばっ喰い」とは呼ぶが、そばは、喰うとか啜るとか言わず「手繰る」。綱を手繰り寄せるというように、そばをたぐる。つまり、両の手を互い違いに使うことを「手繰る」と言う。

早稲田の学生だった頃、浅草「弁天山美家古寿司」の四代目主人内田榮一さんにそばの「並木藪」へ連れて行っていただいた。「美家古寿司」も江戸創業の老舗だが、出かけた「並木藪」もそば屋では老舗だった。

馬道通りにある「美家古」から雷門前の「並木藪」へ出かける道すがら、親方は「江戸っ子、東京っ子はあったかいそばは注文しないよ。天ぷらそば、鴨南蛮と言った、種物もいただかない。冷たいせいろしか手繰らないから」と言われた。

 

6人掛けの席で向かい合わせに座ると、親方は「せいろ」を2枚注文した。運ばれてきた「せいろ」は、ざるをひっくり返したところに、冷たいそばが盛られていた。いや、正確にいうと、そばが盛ってあるというより丁寧に散らされていた。そして、お盆には徳利と猪口。さらに、刻みたての葱とおろしたてのわさび。

私は、徳利から猪口にそばつゆをたっぷりと注ぎ、そこへ葱を入れようとすると、「山ちゃん、何するんだい。葱は入れない。つゆもいれすぎ。戻しな、戻しな」と言って、自分のつゆを注いだ猪口を私の目の前に差し出した。「そばつゆはこれくらいでいいんだ」と見せてくれた猪口には、底がうっすらと見える程度にしかつゆが入っていなかった。

親方は、おもむろにそばを手繰り始めた。左手に猪口を持ちながら、右手の箸でそばを数本つかみ、猪口にそばを落としてゆく。右手の箸は高く上がりながら、左手の猪口はそばを受け取るために下げてゆく。猪口にそばを落としながらも、箸でつまんだまま、つゆをつけた。このとき、箸は下がり、猪口はそばを迎えるために上げてゆく。つまり、両の手を互い違いにしてそばを「手繰る」。このとき、決して、そばを猪口に落としはしなかった。

私は、親方の真似をするものの、うまく手繰れず、そばがするすると喉を通ってゆかない。目の前の親方は、実にいい音を立てながら、あっという間に1枚手繰ってしまった。

そうして、親方がこう言った。「ほかのそば屋へ行ってごらん。女の輩が、そばをつまむだけつまんで、つゆがたっぷり入った猪口にそばを入れ、ぐるぐるっと回して、ずるずるとそばを食いやがる。作るそば職人のことを全く考えない食べ方なんだ」

「作るそば職人のことを全く考えない食べ方?」

このとき、初めて「料理の作り手のことを頭に浮かべながら、美味しい料理を食べるのではなく、料理を美味しくいただく」ことを学んだのだった。

そばを音を立てて手繰るのも、後年、ワインのテイスティングの際に、ソムリエが空気を一緒に吸い込み、ワインの香りを立てることを知るに及んで、そばもそれと同じく、空気を含むことでそばの香りを立たせる仕草なのだと膝を打った。そのそばの香りが乏しいときに、薬味として刻んだ葱や下ろしたわさびが必要になるというわけだ。

かつて、そばの薬味としては、辛み大根が使われていた。昔の文献に「辛み大根がないとき、わさびをもちうべし」とあるように、わさびは辛み大根の代用品だったのである。

親方は、また、大盛りを頼まない理由として、山盛りになったそばは、そばの圧で、下敷きになったそばが美味しくなくなるのだという。そば職人は、だから、そばをなるべく平べったく盛って、決して山高く盛らないのだということも教えてくれた。またおまけに、真っ当なそば職人ならば、真ん中から手繰れば、そばが絡まずに手繰れるように盛るのだとも言った。

「そばを手繰る」ことを伝授された私は、鬼に金棒の感じで、20代後半から都内のそば屋巡りを始めたのだった。そうして、そばに開眼したのが、当時、豊島区南長崎にあった「翁」のそばで、高橋邦弘さんの打つそばの香りに初めて心を奪われた。

そうしてそば行脚を重ねるうちに出逢った最高峰の一軒が柏「竹やぶ」で、以後、ご主人阿部孝雄さんのそばに魅せられてゆくことになった。阿部さん自ら、そばの実を石臼で挽き、ふるいにかけ、そばを打つ。

新そばを仕入れた先が十か所あると、それを挽き分け、

その打ちたてのそばを少しづつ茹で上げては、せいろに盛って出してくれる。浮世絵でいえば、彫り師が十人で摺師がひとりと言ったところだろうか。北海道から九州までのそばが一晩で一度に味わえる贅沢。

このそば会の最初に出てくるのが、「そばがき」なのである。それまで、そばがきと言えば、木の葉状に成型したそば粉の塊で、すいとんと変わらないようなものしか知らなかった私は驚愕した。鍋にそば粉を入れ、そこへ湯を注ぎ、渾身の力で掻きまわす。それだから「蕎麦掻き」と呼ぶ。

阿部さんが作り出した「そばがき」は、空気が一杯込められていて、まるでムースのような舌ざわりなのだ。そばの香りがシンプルに純粋に楽しめて、格別の味わい。

いま私たちがいただいているそばは「そば切り」と言って、打ち上げたそばを平たく延ばし、細く切り揃えたもの。「そば掻き」は、「そば切り」が誕生する前までの江戸のそばと思えばよい。

昭和19年生まれの阿部さんは現在引退されていて、柏「竹やぶ」は次男、箱根の「竹やぶ」は長男が店を継いでいる。品書きは、以前から変わらず、「そばがき」「せいろ」「田舎そば」「天ぷらそば」「にしんそば」などが揃っている。

毎年、新そばが出始める11月から、そのそばが楽しめる3月までが、私の「竹やぶ」のシーズン。柏や箱根に出かけられないときは、千歳烏山にある、阿部孝雄さんの薫陶を受けた弟子刈部さんの店「東白庵かりべ」へ出かけることしばしばである。

 

[連載一覧]山本益博・我が人生の十皿
・00 はじめに
01 東京「たつみ亭」荒木保秀の「上かつ」
02「みかわ是山居」早乙女哲哉のはしらのかき揚げ
03 東麻布「野田岩」の筏の蒲焼
04 銀座「すきやばし次郎」のこはだの握り
05「吉い」吉井智恵一 鱧のお椀
06 東京「コートドール」斉須政雄の「しそのスープ」
07 気仙沼「福よし」村上健一のさんまと吉次の塩焼き
・08 柏「竹やぶ」阿部孝雄の そばがき
09 三ノ輪「トイ・ボックス」山上貴典の醤油ラーメン