連載

vol.06 東京「コートドール」斉須政雄の「しそのスープ」

フランス料理を半世紀にわたって食べてきて、日本人ならではのフランス料理と呼べる傑作をいくつか味わってきた。

神田「アルピーノ」大渕康文シェフが生み出した「野鴨のロースト牛蒡ソース野ゼリ風味」、銀座「大渕座」時代の「松茸のガレット」などがそれに当たり、三田「コートドール」の斉須政雄シェフが創った「しそのスープ」も傑作の一皿と言ってよい。

斉須政雄シェフは、フランスで修業した10年間で、最も影響を受けたのが、パリ「ランブロワジー」のオーナーシェフ ベルナール・パコォの料理だった。1982年パコォがセーヌ左岸ノートルダム寺院の向かいでわずか26席の小さなレストランを開いたとき、彼に誘われ、店の厨房は二人で取り仕切っていた。そして、いきなり「ミシュラン」の1つ星に輝いた。

私は、83年春、初めて「ランブロワジー」を訪れ、そのとき、厨房から斉須さんがテーブルまで出てきて挨拶し、メニューを選んでくれた。「赤ピーマンのムース」と「牛尾の赤ワイン煮」を食べ、赤ピーマンやオックステールという、極くありふれた食材から、簡潔にして洗練された味を引き出した皿に感銘を受けたのだった。パリを始めフランス各地で食べ歩いた、装飾的な足し算の料理ばかり食べてきた私にとって、日本料理のような引き算の料理にびっくりし、以後、パリへ出かけるたびに、「ランブロワジー」へ通い続けた。

斉須さんは85年には帰国し、「ランブロワジー」はその後、パリ4区ヴォ―ジュ広場の一角に店を移し、88年には「ミシュラン」の3つ星を獲得し、現在ではパリを代表する名店と呼ばれている。

斉須シェフは日本へ戻ってから、暫くして札幌の菓子店オーナー若狭さんが用意してくれた三田の「コートドール」のシェフに就いた。ここで、生まれたのが、「しそのスープ」である。

彼は自著「メニューは僕の誇りです」(新潮社刊)で「しそのスープ」が生まれたいきさつを次のように語っている。

 

「およそ高価なイメージのない日常素材の梅干しとシソだけでフランス料理にしてしまおう、なんて考えた人は僕以外にないでしょうね。ちょっと胸を張りたい気分になるスープです。

材料は、梅干し、シソ、アボカド、トマト水だけ。それらをミキサーに入れてボタンを押し、最後に僕の舌で味を確認すればお終い。梅干しは一個で一人分。特別の梅干しの必要はありません。どこにでもあるような赤くて酸っぱいやつ。

酸味と塩味がきちんとあれば十分です。

いたってシンプルな料理とはいえ、たおやかな味に仕上げるには、一定の濃度がなければならない。酸味だけが鋭角的に突出していてはいけないし、そこにほのかな甘みも必要です。

アクセントにトコロテンのようなツルツルとした触感のあるものを添えたいと思いました。トコロテンに見立てられる素材はないか、あれこれ頭の中で探し、そこで白羽の矢が立ったのが金糸ウリです。昔から金糸ウリは知っていましたが、どうやってフランス料理に使ったらいいものか、見当がつかなかった。ようやく活用を思いついたわけです」

フランス人のシェフが、今まで折に触れ、「日本の料理人」について私に語ってくれたことを要約すると「勤勉」で「技術」はとても優れているが、「創意工夫」に欠けるところがある、というのが通例だった。

簡単にいうと、料理を模倣することの能力は人一倍だが、新しい料理、自分ならではの一皿を生み出す力が弱い、というわけだ。「真似る」は「学ぶ」の原点だから、「モノマネ」は悪いことではないが、シェフの個性を尊重するフランス料理の世界では、「オリジナリティ」を何より大切にする。

斉須シェフの「しそのスープ」は、まさしく、日本の料理人が生み出した、日本人ならではの「オリジナリティ」溢れる一皿なのである。

 

同じ著作で斉須シェフが述懐する。

「フランスから戻って三年目、ベルナールが来日したときに食べてもらったんです。成田へベルナールを送る車中で、『マサオ、あの線で行け』と言われました。ベルナールにとっては初体験の味ですから、拒否反応を示すのではないかと内心では心配していました。ところが、非常に明快な料理で、強烈な酸味はシェリー酢に通じるものがあり、なにをポイントに盛ってきたかがよくわかる、と受け取ってくれた。見たことがない食材の金糸ウリも好ましく思ってくれたようです。『日本人というバックボーンのフィルターを通して、ああいう料理を作っていくのがいい。それを自分のスタイルにしていくべきだ』と励まされました」

 

フランスの修業から日本へ戻ってきたシェフは、はじめのうちは使い慣れたフランスの食材を使うのだが、誰もがしだいに日本の食材に眼を向け始め、日本のフランス料理、私のフランス料理を目指すようになってゆく。しかしながら、全国各地の食材探しに夢中になるばかりで、日本で自分を見つめる料理人は少ない、というより、ほとんどいない。

その中にあって、斉須政雄シェフは稀有な料理人のひとりと言える。

夏にしか出合えないが、日本人がフランスに胸を張れる

フランス料理の名品である。

 

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04 銀座「すきやばし次郎」のこはだの握り
05「吉い」吉井智恵一 鱧のお椀
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