連載

vol.05「吉い」吉井智恵一 鱧のお椀

日本料理は「椀刺しが華」と呼ばれているが、私が初めて「お椀」の素晴らしさを知ったのは、今から40年近く前、京都の「千花」でのことだった。

ある年の3月、「桜鯛」を楽しみに「千花」へ出かけて行ったのだが、カウンターの席に着くなり、ご主人永田基男さんから「ごめんなさい。今朝、気に入った鯛が入りませんでした。桜鯛は来年の春までお待ちください。今日は、その代わり、若狭から届いた一塩したぐじ(甘鯛)を召し上がっていただきます」と告げられた。

一度は落胆したものの、ぐじのお造りが素晴らしかった。

そして、その後に「お椀」が出された。1階のカウンター席は私一人だったが、少し前から、3人のお客様が2階のお座敷にいらして、「お椀」を出すときにタイミングがあったのだろう、四つのお椀のうち3つは2階へ、一つはご主人の目の前にいる私の手前にそっとお椀が出された。

お椀の蓋を取ると、熱い湯気が立ち昇り、吸い地を一口いただくと、とても熱かった。お出汁の加減がわからないほど、熱かった。一呼吸おいて、そおっといただいても、なんだか熱い湯を飲んでいるのとさして変わらない感じだった。ひょっとして、2階でゆっくりと召し上がっているお客様にあわせた温度なのかもしれないとまで邪推したほどだった。

椀種の海老しんじょうをいただき、吸い地の量がお椀の三分の一ほどになり、熱さもとれて飲み頃の温度になったところで、ゆっくり飲み干してゆくと、最後にいいお昆布の香りが鼻に抜けた。とても素晴らしいお椀をいただいたと思いながら、どうしても最初の熱さが解せず、お椀を戻しながら、ご主人にお訊ねした。なんでも食べごろ、飲みごろの温度があるのに、今のお椀は熱すぎやしませんでしょうか、と。

「じつは、お椀の前に召し上がられたのが、一塩したぐじでしたので、多少なりとも、塩気が口の中に残ったのではなかろうかと思い、その塩味を一気に消し去るために、あの熱さが必要かと思い、そう考えてお出ししました」

それを聞いて、私は絶句し、二の句が告げなかった。この時からである、「お椀」は、はじめの一口が大事なのではなく、一度、口の中をフラットにしてから、二口目三口目を心鎮めて、気持ちを集中していただこうと。

それから、どのくらいの「お椀」をいただいてきたかしれないが、記憶に残る「お椀」はわずかしかない。徳島「青柳」銀座「壬生」京都「浜作」元麻布「かんだ」富山「ふじ居」それに名古屋「吉い」だけである。

名古屋に素晴らしい日本料理の店があると誘われて、「吉い」に出かけたのが、いまから5,6年ほど前の夏である。名古屋の繁華街からはずれた街並みの一角にあり、わずか7席のカウンター割烹の店だった。ご主人吉井智恵一さんとお酒担当でソムリエの資格を持つおかみさんの二人きりで店を取り仕切る。品書きはなく、席についてほどなくして、付きだし、前菜がいいタイミングで出てくる。

その日、私に強烈な印象を残したのが、「鱧のお椀」だった。なにしろ、鱧以外の椀種が一切なく、ゆずの香も添えてない。鱧にも葛打ちしていない、言ってみれば「すっぴん」のお椀。見た目は素っ気ないが、日本料理の究極の引き算と言えばよいだろうか。

席がなかなか取れないところを名古屋の友人に懇願して、翌年は春に予約が取れた。この時の「たけのこ」がまた見事だった。相性の良い若布も、鰹節も、木の芽すら添えていない。「白子」と呼ばれる土からまだ顔を出さずにいたたけのこを、ただ湯がいただけの一皿。庖丁が冴えたたけのこを口に運ぶと、春の香りが充満し、たけのこに歯を当てると、清らかなでピュアなジュースが口中に溢れた。

 

年に1回の機会が待ち遠しく、翌年の冬の小鴨、翌々年秋の松茸の、土瓶ではない土鍋蒸しは、久しく忘れ難い味となった。土鍋に松茸のスライスのみを隙間なく積み上げ、出汁を加えて、ひたすら長時間蒸しあげた正真正銘の蒸しもの。

昨年夏には「鱧」に再会できたのだが、「鱧のお椀」といいながら、椀の蓋を開けると「鱧」はなく、一番出汁に鱧の骨から取った出汁を加えた「忘れられた鱧」のお椀。

そのお椀に続いて、再びお椀が目の前に運ばれ、蓋を取れば、今度は「鱧」だけが鎮座していたのだった。

カウンターに居並ぶ七人の客が、料理に翻弄されるのをご主人がひとり楽しむような仕掛けだった。

この夏に出かけると、今度は「茄子」が驚きの姿で登場した。ただただ時間をかけて蒸しただけの「茄子」。まるで、フランス料理のムースのごとき軽やかな「茄子」で、吉井さんに伺えば、休みの日の店に出て、焼いてみる、出汁を含ませてみるなど、考えうる限りの試作をした結果、ただ蒸したものが、いちばん理想的な料理に仕上がったのだという。

私が、そのとき、おかみさんも一緒ですかと訊ねると、いえ、主人はいつも一人で店にでています。あまりに長い時間帰ってこないときは「時々、生存確認の電話を入れるんです」とのことだった。

そうして生まれた「茄子」を、私は勝手に「淡雪茄子」と

命名した。来年夏もまた、この「淡雪茄子」と「忘れられた鱧」のお椀に出逢えたいなあ。

 

[連載一覧]山本益博・我が人生の十皿
00 はじめに
01 東京「たつみ亭」荒木保秀の「上かつ」
02 「みかわ是山居」早乙女哲哉のはしらのかき揚げ
03 東麻布「野田岩」の筏の蒲焼
04 銀座「すきやばし次郎」のこはだの握
・05「吉い」吉井智恵一 鱧のお椀