連載

vol.03 漆芸蒔絵人間国宝・室瀬和美(3)

◆すべてを「肯定する文化」――――

平成の世の中は、数値化できる経済というものが最優先の価値観になってしまいました。お金を稼ぐことが人々の成功の基準になり、底が浅くとも新しく珍しいというだけのモノやコトが、社会の耳目を集める。一方で、経済効率やコストパフォーマンスへの圧力が高まり、丁寧に漆を塗られた良い器などは、その居場所がなくなっています。

『現代の消費文化において、私たちは、精巧に作られた手仕事の個々の作品に背を向け、変わりゆく流行を反映する大量生産品やブランド商品にますます引かれていっている。この過程で、文化伝統が消えていくだけでなく、技を尽くした美しいものを賞玩するという独特の喜びも失われようとしている』。大英博物館のニコル・クーリッジ・ルーマニエールの言葉です。

「安いものをつくれ、という要求は、手を抜いてつくれ、と言っているのと同じなのです。お金持ちも、そうでない人も、心の貧しさに気づかなくなっています。数値化できない価値、文化の持つ豊かな存在感はいったいどこにいってしまったのでしょう。ここらでそろそろ、日本人が日本の文化を見直さねばならないのではないか」と室瀬先生は考えています。

日本の文化は肯定の文化です。過去の作品を尊び、先人の業績を学び、工夫を重ねた技を受け継ぐ。それらを肯定して受け入れた上で、自らの個性を発信する。外部から闖入した文化さえも、否定することなく受け入れ、それを自分たちの文化と見事に融合させ、新たな様式を創り上げる。すべてを肯定するのが日本の文化の価値観なのです。欧米の文化は違います。それは、新しいこと、独創的であること、他に類のない存在を最良とする文化です。独自の個性を尊び、他にはない自分だけの表現をつくりあげる文化なのです。これはつまり、否定の文化。過去の作品や、先人の業績をいったん否定しなければ、革新は生まれない。

多田道太郎は、『何はともあれ、人と変わっていることが良いのだ。そこで、美術にせよ音楽にせよ、先人とは変わっているものが、変わっているというだけで評価される。そのような異様な世界が生み出される』とまで言います。他者を受け入れるのではなく、ひたすら自己の理想を追求する価値観。何より使う人を思う、他者を尊重することを基盤とする日本とはまったく異なる文化ではないでしょうか。柳宗悦によれば、『(西洋の)美術は理想に迫れば迫るほど美しく、(日本の)工藝は現実に交われば交わるほど美しい』のです。「相手を慮る気持ちが自己表現の中に入り込んでいるというのは、たぶん西洋の人には理解できないと思います。それだと自己表現が足りないということになる」。過去や他者を肯定する日本の創造と、他者や過去を否定する西洋の創造。上下、優劣をつけることではないのかもしれませんが、洋の東西の文化は、このような大きな違いを持っているのです。

ところが、昨今の日本、特にこの平成の御代は、日本でも否定の文化が人々の思考を占拠してしまった感があります。オリジナリティ至上で自己主張を良しとするニッポン。けれど「二十世紀の自己主張の文化は、二十一世紀で行き詰まっている」のです。アートと呼ばれるものは今、否定するものが見出せなくなって、途方に暮れています。否定の対象を探して彷徨うクリエイターたちは、たんに珍妙なだけのモノや、最先端の技術を取り入れただけのコトを、乱造している。小林秀雄が言うように、『模倣は独創の母である。唯一人のほんたうの母親である。二人を引き離して了つたのは、ほんの近代の趣味に過ぎない。模倣してみないで、どうして模倣出来ぬものに出会へようか』というのに、西洋の人々は先人の業績に学ぶことを忌避します。これをこの先もつづけることが正しいことなのか。先生は大きな疑問を感じています。しかも、「日本人は否定することや戦うことが得意ではありません。和を以て貴しとなす心は、私たちの骨肉となっているのです」。新しい御代を迎える日本人が考えなければならない視点ではないでしょうか。

 

[連載一覧]田中康嗣(和塾 理事長)・日本の宝 日本を語る
01 漆芸蒔絵人間国宝・室瀬和美(1)
02 漆芸蒔絵人間国宝・室瀬和美(2)