連載

vol.02 漆芸蒔絵人間国宝・室瀬和美(2)

日本には自然の恵みに満たされた国土があります。
山があり、谷があり、川があり、海がある。それぞれに四季があり、一年を通じて幾千幾万通りの美が人々を取り囲んでいます。

人知を越えた綺麗に、日々接しながら暮らす人々には、謙虚で誠実で豊かな感性が育まれます。日本人は、人間よりも自然の方が圧倒的に力強く、遙かに豊かで、驚くほどの多様性をたたえている、と考える。そして人々は、その強くておおらかな自然によって生かされている、という思いを刻みながら暮らしているのです。

西洋の考え方はこれとは少し違います。例えば、ヴェルサイユ宮殿の庭園にある噴水について、高階秀爾は次のように言います。『西洋庭園に欠かせないこの噴水。これはじつは反自然です。水というのは高きから低きに流れる。それを逆に下から上に上げる。自然に逆らって人間の力で上に上げているんです』
室瀬先生はつづけます。「自然の方が人間よりも遙かに大きい。その中で人間は何ができるのか、いかに心の満足を得られるのか。それがこの国のものづくりの基盤となる価値観なのです」。

先生のつくる漆器は、何百年も使いつづけることができて、使わなくなったら土に戻ります。日々の暮らしに美しさを添え、何世代にもわたって楽しめて、最後は土に還り豊かな大地を支える。木や漆といった有機物を媒介とした素晴らしい循環の構造を持っているのです。
「日本は多様な自然を愛でることが日常である国だったのです。そうした日本の環境が、日本人の感性を養ってきた。本当に恵まれた国土だったと思います。だからそういうことに感謝して生きる、というのが日本の自然観であり日本のものづくりの起点だと思います」と、室瀬先生は語ります。

 

◆モンパルナスの「漆の人」――――

室瀬先生は、漆の部屋で育ちました。五人兄弟の末っ子だった室瀬少年は、漆の作家だった父のもと、ものづくりの人々に囲まれて育ちます。おおらかで、どんな偏屈者も受け入れた母が切り盛りする室瀬家には、たくさんの「ものづくりのおじさん」たちが出入りした。池袋モンパルナスとも呼ばれた、芸術家たちが集まる地で、室瀬先生のものをつくる心も育まれます。

小学生の頃、ボール紙でつくった大きな都市計画の模型は、先生の自慢の作品。十四歳の時には、すでに父の作品づくりを手伝い、胴摺りの作業に汗をかきます。けれど、父と同じ漆の道に進むことは、昭和の高度成長の時代だった当時、誰もが反対する選択でした。伝統工芸という時代遅れな仕事に就くことを後押ししてくれる人などいるはずがありません。

あまりの反対の多さに、室瀬先生の天邪鬼の気性が頭をもたげる。「皆がそこまで消えると言うなら、どんな風に消えていくのか見届けてやろう」と。一念発起した先生は、東京芸術大学を目指します。当時、日本で唯一の漆芸科があったのが東京芸大。選択肢は他になかったのです。

東京芸術大学に入学した先生は、父・室瀬春二や六角紫水、松田権六、田口義国をはじめとした錚々たる師のもと、そのものづくりの才を開花させます。初めての個展で、売る気もなく、売れるとも思っていなかった「游蝦文の蒔絵作品」を購入する人が現れ、それ以降も数々の数寄者、贔屓衆が創作者・室瀬和美を支援することになります。

こうした支援者は、芸術文化のためになくてはならない存在。経済効率など考慮しない心からのパトロネージュ。昨今ではそんな人も少なくなり、いささか寂しい状況ではありますが、幸いにも支援者に恵まれた室瀬先生は、作品の購入だけでなく、さまざまな薫陶をパトロンたちからも受けることになります。

先生が、重要無形文化財の各個認定保持者(通称・人間国宝)になったのは、五十七歳の時です。漆芸ではもっとも若い人間国宝。七十代八十代での認定が普通ですから、先生の認定は異例のことでもありました。だから先生は、人間国宝は最終地点ではないと考えています。その後の先生の活動は、それを証するもの。数々の時代を画す作品づくりはもとより、漆を起点とした日本文化を世界に発信しつづけています。和の美、と名付けられた先生が、その名の通り、日本の美しさを世界に示している。素敵なことだと思います。

先生のご自宅には、不思議な舟が置かれています。小学生だった先生が、父に頼んでつくってもらった小さな船。友人のプラモデルのボートがうらやましかった室瀬少年は、自分にもボートを、と父に頼み込みます。一週間かけて父がつくったのは、ボートではなく和船。木材を骨組みに紙でつくられたその和船は、プラモデルのボートを願っていた室瀬少年を失望させました。けれど、そのものづくりの見事さは、少年の輝かしい未来を指し示す創作の原点でもあったのです。

 

[連載一覧]田中康嗣(和塾 理事長)・日本の宝 日本を語る
01 漆芸蒔絵人間国宝・室瀬和美(1)
03 漆芸蒔絵人間国宝・室瀬和美(3)