連載

東京黎明アートルーム「浦上玉堂 画法は知らずただ天地あめつちの声を聴き筆を揮う」

素晴らしい展覧会でした。「展覧会でした」と過去形になっているのは、2021年11月13日に終っちゃっているからです。
ヤジ「なぜやってる時にアップしないんだ! 美術ブログの意味がないじゃないか? だから『青い日記帳』の足元にも及ばないんだ!!」
『青い日記帳』の足元にも及ばないのは認めるにやぶさかじゃ~ありませんが、浦上玉堂は僕がもっとも好きな文人画家です。
又々ヤジ「蕪村のときも、大雅のときも、もっとも好きな文人画家と言ってたじゃないか?研究者として節操がなさすぎる!!」
「申し訳ございません。お詫びして訂正いたします。浦上玉堂は僕がもっとも好きな文人画家の一人です」(笑)

いつか玉堂についても妄想と暴走を書きたいなぁと思いつつ、その機会がなく、ただ「玉堂と酒」というエッセーが1編あるだけです。これは小林忠さんに求められて、『江戸名作画帖全集』Ⅱ<文人画2 玉堂・竹洞・米山人>』のために書いたものですが、自分としてはケッコウうまくできていると思い(笑)、駄文集『文人画 往還する美』(思文閣出版)にも再録しちゃいました。その書き出しは……

酒、これなくして玉堂芸術は存在しなかった。両者はほとんど表裏一体の関係に結ばれていた。私は浦上玉堂を酒仙画家と呼びたい。玉堂と肝胆相照らす仲であった田能村竹田は、その著『山中人饒舌』のなかで、次のように述べている。

この書き出しに続いて、田能村竹田が著わした画論『山中人饒舌』の玉堂に関する一節が出てくるわけです。この引用には、恩師である竹谷長次郎先生の現代語訳を使わせてもらいました。もう30年近く前に書いたものですが、この見方は今も変わっていません――というより、さらに強い確信に変わっています(笑)。

玉堂の詩集『玉堂琴士集』<前集><後集>には、お酒をたたえた詩がたくさん収められています。そのなかで、僕がもっとも好きなのは、<前集>の「山行」と題される15首のなかの1首です。「玉堂と酒」では、原詩と書き下しだけでしたので、ここではマイ戯訳とその原詩を……。

花咲く林でチョット酔い 池の堤で一眠り
花の香りに酔うごとく 乱れ飛んでる揚羽蝶
あかつき迎え酔い醒めりゃ どっかに消えてる春だけど
蝋で仕上げた下駄の歯に 残るイラクサ香ってる

花林一酔睡池塘
芳草深辺蛺蝶忙
今暁酒醒春底処
苛留蝋屐歯間香

酒に酔って眠り、目覚めたときのアンニュイと、春という季節の物憂い雰囲気が、とても美しく綯い交ぜになって詠まれています。それにもかかわらず、玉堂の嗅覚だけは冴えていて、かすかなイラクサの香りにも鋭敏に反応するんです。

富士川英郎先生が、名著『江戸後期の詩人たち』を著わしてから、江戸時代の漢詩にたいする興味が掻き立てられ、そのソフィストケイトされた文学世界に熱いまなざしが注がれています。玉堂の漢詩は、そのような江戸漢詩の鬱蒼とした森を生み出す、緑豊かな大木の一本であったと思います。そしてこの場合にも、基底に文字通りの漢詩――中国の詩に対する豊かな教養と深い尊敬があったことは、改めて言うまでもありません。たとえば入矢義高先生は、この転句――第三句が宋時代の詩人、柳永の詞「雨霖鈴」から「今宵酒醒何処 楊柳岸 暁風残月」を借りたものであると指摘しています。

もっとも僕は、この七言絶句を詠む玉堂の胸底にイメージされていたのは、むしろ有名な杜甫の「曲江」ではなかったかと疑っているんです。お酒を中心に、春、水辺、蝶々と、両者のモチーフがとてもよく重なり合うからです――というようなことを、マイエッセー「玉堂と酒」には書いたんです。

ヤジ「かの吉川幸次郎先生が、その学殖をたたえて止まなかった入矢義高先生の説に異を立てるなんて、オマエも酔払いながら書いたんだろう!!」

東京黎明アートルームで開催された特別展「浦上玉堂 画法は知らずただ天地あめつちの声を揮う」に出品された作品から、玉堂の詩を書き写してきたので、それもマイ戯訳で……。

「秋山晩晴図」の賛
雨が上がれば峰々が 緑を増して輝けり
おぎあし茂る入り江には 釣り舟一艘もやってる
たくさんいた鳥 飛び去って さざなみ立つおも静かなり
上の方だけ落日に 照らされる山 眺めてた

「圜中書画」の詩
俺は独り身 七十と 五歳になった一老人
体も心も痩せに痩せ 春風さえも身にしみる
か細いかいなを心配し 助けてくれる人もあり
だが窓はれ明け方は ただ北風を恐れてる

「仙山鳴鶴図」の賛
大きな松はこんもりと…… つがいの鶴が鳴いている
朝日が昇る水平線 五色の雲がお出迎え
年は取ったがこの俺が 呉絹に描いて贈りたい
うやうやしくも新しく 延命長寿をことほいで

「墨石図」の賛
天然自然――そのなかに 存在しません 人工美
ひねもす晴れたり曇ったり するけど巧んだものじゃない
しかし人にはそれぞれに 香りと色の嗜好あり
愛憎あれば花の美を チャンとは鑑賞できません

チョット哲学的でむずかしい詩ですが、こんな感じでいいのかなぁ~?

「窟室蕭然図」の賛
みぎわの家はものさびて 絶えて聞こえず外の音
調弦しながら客を待つ 陰翳礼賛――そんな気分
仲秋の月 照らす山 鳥も驚く明るさで
葉擦れの音に人語なく 琴の夜半よわに冴えわたる
素焼きの猪口にマツヤニで かもした酒は辛口で
竹の琴柱ことじも琴線も ずっと使ってきたものだ
嘆いちゃならぬ!! 世の中に 真の友だち少なきを
好悪こうおが強いもともとの 俺の性格ゆえだから

さて、これに続けて、『玉堂琴士集』に収められる素晴らしい「酒詩」の戯訳を。「酒詩」というのはお酒を詠み込んだ漢詩を、僕が勝手に呼んだものです。
『諸橋大漢和辞典』を引くと、「酒市」「酒肆」「酒資」などの語はありますが、「酒詩」はないので、僕の造語ということになりそうです。もっとも、「詩酒」という言葉はありますが、これは詩を詠み酒を飲むこと、あるいは詩と酒のことで、残念ながら詩に詠まれた銘酒という意味じゃ~ありません(笑)すでに「山行」を紹介しましたが、ほかにも玉堂の傑作酒詩はたくさんあるのです。

酒を把りて琴を弾く
琴 弾きながら酒 酌めば 酒はいよいよ香り立つ
酒 酌みながら琴を弾きゃ 琴の音いよいよ澄み渡る
一杯の酒+一張の 琴の相性 抜群だ
こんな時には俗世ぞくせいの 雑事はみんな忘れちゃう

琴歌
若い時ほど溌剌さ なくした琴と歌だけど
詩だけは酒飲みゃ雄渾な みごとな一首がまだ詠める
やる気満々――そんな気は 老いて衰えちゃったけど
この世は混沌 定まらず 些細なことなどどうでもいい

閑中自詠
玉堂琴士 一銭も 持っていませんお金など
ただ酒樽と七弦琴 絵をかく楽しみあるだけだ
独り黙って琴を弾く 誰も知らないその境地
伏羲ふっき女媧じょかと神農の 心を一つにした境地

渓行覓句図の賛
玉堂琴士は魂を 琴に盗られた老人だ
日々すきま風る部屋で 独り酔っては吟じてる
たとえ寿命を数年間 天が延ばしてくれたとて
琴への熱きこの思い 尽きることなどないだろう

*最後の詩は『玉堂琴士集』じゃ~なく、東京黎明アートルーム「浦上玉堂」展に出ていた「渓行覓句図」双幅の賛詩です。