連載

vol.01 漆芸蒔絵人間国宝・室瀬和美(1)

晴れた夜の星空の、星と星の間の、何かがあるようで何もない空間の色。その色を「漆黒」と呼びたいと思います。

漆黒とは、ウルシの黒のことで、その黒は、普通の黒とはちょっと違う。

谷崎潤一郎は言います。「漆器の肌は、幾重もの「闇」が堆積した色であり、周囲を包む暗黒の中から必然的に生まれ出たもののように思われる」と。真塗の良い菓子器に、丁寧に練った羊羹を置いて、その半透明に濁った二つの誠実な黒色に綺麗を感じるのは、ひょっとすると日本の人々だけかもしれません。

人間国宝。国の宝、と呼ばれる人に、日本のことを聞いてみたくなりました。黒い器に黒い菓子を載せて、そこに美を見る人々が暮らす国のことを。

 

第一回目は、漆の人。漆芸・蒔絵の人間国宝、室瀬和美先生です。

 

「誠実さがなければ、良い漆の器はできません」。人間国宝、室瀬先生の言葉です。「正直につくる。手間暇を惜しまない。そうでなければ、良い器はできないのです。」

でも、室瀬先生の言うその「良い器」は、私たちの思いとはいささか異なるものです。それは、日本のものづくりが持っている独特の思想と哲学に裏打ちされた「良い器」のこと。そこには、ものをつくってきた人々と、それを使いながら暮らす人々の、豊かで素敵な物語があるのです。

 

◆日本の民の「ものづくり」――――

飛鳥の仏像や、白鳳の寺院、天平の唐太刀、鎌倉の絵巻物、桃山の陶器、元禄の屏風・・・。千年を越える歴史のなかで、日本人はさまざまな「もの」をつくってきました。しかもその「ものづくり」の伝統は、一度も途切れることなく連続している。

「十数世紀にわたる長い創作の歴史を今に至るまで途絶えずに伝えてきているのは、世界でもたぶん日本が唯一の国だと思います。その歴史は、常に外の世界と交流し、海を越えてやってくる文物を受け入れながらも、独自の個性を保ちつづけています。周辺の国の文化をとり入れて、それを咀嚼して自分たちの文化と融合させて、新しい和の文化をつくる。百年から百五十年ぐらいの間隔で、取り入れては日本化し、取り込んでは和風化するという歴史をずっとたどってきたのが私たちの国の文化です」と先生は語ります。

積み重ねてゆくことを大切にする文化。それは、漆の器の下地を何層にも塗り重ねることと似ています。だから、日本の文化は、漆器のような重層的な深みがある、と室瀬先生は考えるのです。

先生が考える、日本のものづくりの秘密がもうひとつあります。それは、「使うためにつくる」という伝統。日本のものづくりは、暮らしのなかで使うことを前提に、用いる人のことを考えてつくられます。

使用する人々の、心地よさや、暮らしの彩りや、心の豊かさを思ってつくる。さまざまな器、飯椀や茶碗、花入れや茶器、硯箱や香合はもとより、絵や文様で飾られた屏風や襖も、間仕切りや扉といった使うための役割があり、仏師たちが精魂を込めた仏像や神像も、祈りの対象としての役目があります。

「日本のものづくりは、西洋に展開した純粋芸術とは、立ち位置が異なるのです。特にルネサンス以降の西洋の創作は、他者のためではなく、創作者自身のための、自己表現としてのものづくりです」。

「そう言われてみると、西洋の人々は自己表現が上手ですね。西洋の芸術文化は、二十世紀以降、自己主張の美という思想がより強固になっています。自己主張は、個性と個性の戦い。彼の地の人々が賞翫する美というのは、闘う美なのです。対して、極東の小さな島々で育まれた日本の工芸は、争わない美。他者を尊重しなければ成立しない、平和でなければ生まれようのない和の美なのです。『日本人はあらゆる哲学的省察、つまり思考による世界の再構築という企てに不可欠な出発点が、主体であるとは考えないのです。デカルトの“われ思うゆえにわれあり”は、厳密には日本語に翻訳不可能であるとさえいえます』クロード・レヴィ=ストロースはその著書『月の裏側』にそう記しています。日本のものづくりは、主体ではなく客体が心豊かになるための創造という大前提がある。作り手は、そのために美を追求していくのだ」というのが室瀬先生の考えです。

先生がつくる蒔絵の器の表面に、突起したところがひとつもないのは、使う人の手触りを考えた結果。手にした人の心を豊かにするために創るということが、日本の工芸が求めてきたものづくりの秘伝なのです。

 

[連載一覧]田中康嗣(和塾 理事長)・日本の宝 日本を語る
・01 漆芸蒔絵人間国宝・室瀬和美(1)
up! 02 漆芸蒔絵人間国宝・室瀬和美(2)