連載

vol.01 東京「たつみ亭」荒木保秀の「上かつ」

「とんかつ」は、生まれて初めての「好物」といってよい大のお気に入りの食べ物である。

靴下の卸業を生業としていた両親は、日曜日となると、子どもたちを外食に連れて行ってくれた。行き先は、浅草のとんかつ屋「河金」か洋食「ヨシカミ」だった。

「ヨシカミ」では、父親が「ヴェルミディ」と呼んだビフテキ、子どもたちは、ハンバーグかエビフライ。はじめに蟹サラダを食べ、カツサンドをお土産に作ってもらった。「河金」では、家族全員がとんかつを食べた。私は50匁のとんかつがお気に入りで、小学校6年生のとき、300g以上の、自分の顔くらいの大きさがある100匁のとんかつを平らげて、「河金」のご主人河野金太郎さんに「坊主、そんなにとんかつが好きか」と頭をなでられた。以来、昭和のとんかつ小僧となった。

「河金」はかつての国際劇場(現在の浅草ビューホテル)の横にあり、店にはいると、揚げ油のラードのいい匂いが鼻をくすぐり、食欲を一段と掻き立てた。70歳を超えた今でも「とんかつはラードで揚げたもの」とこだわるのは、この「河金」のとんかつが原点、起点となっているからに違いない。

オーストリアには「ウィンナー・シュニッツェル」イタリアには「コトレッタ・ミラネーゼ」という仔牛料理がある。「ウィンナー・シュニッツェル」は仔牛肉を叩いて、薄く延ばし、「コトレッタ・ミラネーゼ」は骨付きで調理するが、どちらもパン粉をつけて、フライパンに少量敷いた油の中で焼き上げる。

「カツレツ」の語源といわれるのはフランス語の「コートレット」英語で「カットレット」だが、明治28年、東京・銀座「煉瓦亭」で仔牛を豚肉に替え、フライパンにたっぷりの油で揚げた「カツレツ」が誕生したと言われている。これが評判を呼び、東京の代表的な洋食となっていった。

その「カツレツ」がいつ「とんかつ」になったかは、はっきりしないが、昭和4年上野のポンチ軒で分厚い豚肉が揚げられ「とんかつ」の名前が誕生したとの説が有力である。白い暖簾に「とんかつ」と書かれた黒い文字は、西洋料理から洋食を経て、御飯に合う堂々たる和食になった証左ではなかろうか。

昭和のとんかつ小僧が60歳を過ぎてから、とんかつ好きが嵩じて、SNSのフェイスブックで「東京とんかつ番付」を始め、ひとりであちこちの東京のとんかつ専門店を紹介していったのだが、数か月後にその名を「東京とんかつ会議」に変更して、3人(河田剛さん、マッキー牧元さん、それに私)で連載することとなった。

とんかつ定食のアイテムを「肉、衣、油、キャベツ、ソース、御飯、味噌汁、お新香」の8項目とし、1アイテム3点満点で評価してゆく。審議委員の3名が揃って20点以上の高得点を挙げた店は、改めて3人で取材し直し、「とんかつ殿堂入り」を決めている。

2020年末で、「東京とんかつ会議」は180回を数え、食べに出かけても掲載しない店も多く、すでに都内のとんかつ屋約200軒に足を運んでいることになろうか。

じつは、10年ほど前から「とんかつ」を食べ歩き始めたことには理由があった。昭和の60年代から豚肉の質が低下し、昭和のとんかつ小僧と言えども、「とんかつ」を敬遠することが多くなったのだが、平成に入ると、銘柄豚があちこちで生まれ、豚肉の質が格段とよくなったのだった。きっかけは、スペインのイベリコ豚だった。上質のブランド豚は、とりわけ脂の質が高く、それまで見かけなかったフランス料理店のメニューに豚肉料理が登場するきっかけを作ったのだった。

これに刺激されたのが、日本の養豚業の人たちで、飼料から育成の環境まで配慮し、「TOKYO-Ⅹ」はじめ、日本のあちこちで銘柄豚が誕生していった。一番顕著に改善されたのが、脂身で、これをきっかけに「ヒレ」より「ロース」を好むとんかつファンが急増していった。

もちろんヒレも一段と美味しくなり、六本木の「イマカツ」でヒレカツを食べた瞬間、「これは、平成のヒレカツで、第2のとんかつ黄金時代が始まった!」と実感したものだった。

すると、今度は、パン粉の衣、揚げる油にも革命が起こり、
高田馬場「成蔵」(現在は杉並区成田東)は豚肉の質、衣、揚げ方で平成のとんかつのリーダーになっていった。そして、いまだに「成蔵」詣でがあとを絶たない。

さらに、令和に入ると、日本料理の料理人がとんかつ専門店(四谷荒木町・ちゃわんぶ)を開いて、御飯、味噌汁、お新香にまで格別に配慮したとんかつ定食を出しはじめ、フランス料理出身のシェフが、フランス料理のエスプリでとんかつ屋(下丸子・とんかつカンティーヌゆめみるこぶた)を開き始めた。これぞ、平成の時代にはなかった「令和のとんかつ」である。

ここまでとんかつが進化しながら、それでも私のお気に入りはラードで揚げたとんかつで、その代表が荻窪「たつみ亭」なのである。私は西荻窪に住みながら、10年前に「たつみ亭」を知った。まさに、灯台下暗しである。

荻窪駅近く、白山神社前にある小さな街のとんかつ屋。
ご主人は、荒木保秀さんと言って、昭和18年生まれの78歳、新潟出身である。とんかつを揚げるようになったのは、20代後半で、かつて荻窪にあった兄の店だった。その「たつみ亭」が移転することになり、遠い親戚筋に当たる目黒の「とんき」に1週間だけご厄介になった。そうして、新たに荻窪白山神社前に「たつみ亭」をオープンしたのが、昭和43年だった。

新潟出身だけあって、御飯は極めて美味しい。この店の大きな分厚い「上かつ」をたべると、かつての「河金」の100匁のとんかつを思い出すのだ。一人では食べきれないので、妻と二人で出かけ、まずは、「串かつ」をビールでいただき、「上かつ」を二人で分かち合う。

これぞ至福のひとときで、人生最高の3品を挙げろと言われれば、真っ先に推したいのが、「たつみ亭」の「上かつ」なのである。

[連載一覧]山本益博・我が人生の十皿
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