三重ノ海剛司(武蔵川晃偉)

むさしがわ・元横綱三重ノ海

武蔵川晃偉(=三重ノ海剛司・みえのうみつよし)
1948年2月4日三重県松阪市生まれ。元大相撲力士。第57代横綱。本名は石山五郎(いしやまごろう)。

1969年9月場所で新入幕。1970年7月場所には新三役となる西小結へ昇進し、大鵬・玉の海を破って初の殊勲賞を受賞]。1971年11月場所には西小結の位置で11勝4敗の好成績を挙げて初の技能賞を受賞。1972年から肝臓病が悪化し、1973年9月場所から1975年3月場所までは平幕に在位。1975年5月場所に関脇へ復帰し、同年9月場所において11勝4敗の好成績を挙げ、続く11月場所では当時27歳11か月の年齢で13勝2敗の成績を挙げて初の幕内優勝を果たし、翌1976年1月場所において大関へ昇進した。新大関として迎えた1976年1月場所中、8勝7敗と勝ち越すも左足首を捻挫。その怪我の影響で続く3月場所と5月場所にそれぞれ途中休場したために2場所連続で負け越し、在位3場所目で大関の地位を明け渡してしまう。同年7月場所は関脇の地位へ陥落したが、その7月場所は関脇で10勝を挙げ大関特例復帰を果たした。1978年1月、大関12場所目にして10勝を挙げ、同年中に2桁勝利を4度記録して復調。1979年5月場所では北の湖の連勝を32で止めたのを含めて13勝2敗という優勝次点の成績を挙げる。自身初の綱獲りとなった翌7月場所では14勝1敗の成績を挙げて優勝決定戦まで進出し、輪島との優勝決定戦には敗れたものの、優勝同点の好成績を挙げたことで横綱に推挙され、当時31歳5か月の高齢という遅咲きながら翌9月場所において横綱へ昇進した。横綱土俵入りは雲龍型。新横綱の1979年9月場所は11勝4敗に留まったものの、同年11月場所で14勝1敗・1980年1月場所に15戦全勝と2場所連続優勝を達成。その後は年齢による体力の衰えもあって古傷の左肘の悪化など怪我や病気で休場が多く、2場所連続休場後の1980年11月場所は初日から2連敗、同場所3日目に現役引退を表明した(当時の年齢は32歳9か月)。

現役引退後は年寄(武蔵川)として後進の指導に尽くし、2006年2月からは協会事業部長を務め、2008年9月8日に第10代日本相撲協会理事長に就任した。相撲博物館の館長職にも就いている。