【個展開催】蒔絵 人間国宝 室瀬和美氏が創る“令和の伝統”

令和4年1月14日(金)~23日(日)、銀座「和光ホール」で、蒔絵の重要無形文化財保持者(人間国宝)である室瀬和美さんの個展「蒔絵 室瀬和美―伝統を創る―」が開かれる。
個展の開催は、6年ぶりのこと。それは、半世紀以上に及ぶ創作の集大成であると同時に、新たな創造の展開でもある。作品に込められた理念と見どころについて話を伺った。

室瀬さんの工房は、東京・目白の静かな住宅街の中にある。年の瀬に、どうしてもと訪ねた私たちを、うるさがりもせずにおだやかな笑顔で迎えてくれた。30点ほどにのぼるという今回の出品作品はすべて完成し、収蔵庫の中で搬出の日を待っている。

「そうだね、まず、“粉(ふん)”の話から始めましょうか。それが今回の個展の大きな鍵になるから」

そう、室瀬さんは話し始めた。粉、というのはもちろん、蒔絵粉(まきえふん)、蒔絵で使う金属の粉のことだ。金蒔絵なら、金。銀蒔絵なら、銀。蒔絵の文様はそれらの塊を削った、蒔絵粉を漆面に蒔きつけることによって生まれる。謂わば、点描なのだ。そう、人間国宝は、基本のキからやさしく話してくれた。

「ふだん、蒔絵のお椀や重箱を何気なく手に取っている時は、もちろん、皆さんそんなことはいちいち意識しませんね。そもそも粉だということが分からないくらいに粒子は細かく、金色の絵の具で描いたと思う人もいるかもしれません。一粒一粒、どのくらいの大きさだと思いますか?」

返って来た答えは、想像以上に微細で驚かされる。0.02ミリ。それが現在の蒔絵粉の平均値だという。もちろん、蒔絵の文様の表面を虫眼鏡で拡大しても、粒だということは分からない。

「でもね、私は、この平均値より、だいぶ大粒の粉を使っています」と室瀬さんは続けた。「特に最近はね。その話をしましょう」

 

●荒々しく不揃い――天平の金粉を求めて

正倉院の宝物に、「金銀鈿荘唐大刀」という大刀がある。その鞘に、獅子や馬や鳥などの動物、そして草花の模様の金蒔絵が施されていて、これは、現存する世界最古の蒔絵遺物だ。4年前、室瀬さんはこの鞘の調査に取り組んだ。

「実は、この調査は、私にとって長い長い念願であり、宿題でもありました。と言うのも、まだ二十代の頃、師匠の松田権六先生が私にこの鞘の存在を教えてくださった。その時に、どうも現在と同じ技法で作られているはずだ、室瀬君、いつかそれを確認すると良い、そう言われたのです」

それからおよそ、40年。室瀬さんは師匠の宿題を果たすことになった。調査は、鞘がどのような技法で作られているのか、そしてどのような素材が使われているのかを明らかにするために行われた。いくつかの発見があったが、室瀬さんの心を最も強くとらえたのは、その蒔絵粉だったという。

「一言で言うと、大きい。荒々しいとさえ言えるほど、奈良時代の蒔絵の金粉は大きく、形も不揃いでした。先ほど、現在の蒔絵粉の主流は0.02ミリとお話ししましたが、奈良時代のものはもっとずっと大きい。細かなものもありますが、最も粗いものでは0.5〜1.0ミリというものもありました。どの粒も、一粒ずつがはっきりと見え、それぞれ形や大きさ、表情が違うんです」

調査では、検証のため、実物の再現も試みた。ところが、この粗い蒔絵粉がどうしても作れなかったという。

「粗い粉を作りたいなら、金の塊を粗く削ればいい。簡単そうに思えるでしょう?ところが、どうしても奈良時代のものと同じような形や大きさには作れなかったんです。理由は分かりませんでした」

行き詰まっていた時、何回目かの調査の時に、金工の道具に出会ったことが、現状打破のきっかけになる。

「奈良時代の人々は素晴らしくて、宝物だけではなく、それを作った道具類も全部一緒に納めてくれていた。そのうちの一つに目が釘付けになりました。どうやら金属を削るやすりのようなのだけれど、見たこともない形をしている。ちょうどわさびのおろし金のようでした。私はこれじゃないか、とピンときました。帰京して、すぐに職人さんに連絡をして、まったく同じ形のやすりをいくつか作ってもらいました。その内のひとつのやすりで削り下ろすと、奈良時代と同じ形や大きさの金粉が出来た。大きくて、不揃いで、荒々しい金粉です」

 

●超絶技巧の先にあるもの

室瀬さんが、やすり作りまでさかのぼって金粉の再現にこだわったのには、深い、個人的な動機がある。調査に取り組む何年も前から、漆芸家として、蒔絵粉の粒子の形に関心を寄せていたのだ。

「蒔絵粉の歴史を振り返ってみると、奈良時代の、粗い、不揃いな金粉から始まって、少しずつ精度が高くなっていくんです。ザクザクしていた角を落として丸めるようになって、それをふるいにかけて、大きさと形を揃えていく。江戸時代から明治時代になると精度は最高度に極まります。そうやって得た金粉を使い、絵画と見紛うような精緻な表現をした蒔絵が、近年、“超絶技巧”ともてはやされていますね。でも、それが果たして本当に美しいのだろうか?――そんな疑問を持っていました。
私は、漆芸家として歩き始めた頃から、平安時代の蒔絵に心惹かれてきました。何故なのかと30年間考え続ける中で、次第に、答えは蒔絵粉にあるのではないかと思うようになったのです。
はじめにお話ししたように、蒔絵は、点描です。絵の具で描くのとは違い、一粒一粒、粒を蒔くことで画面を構成している。ところが、江戸や明治の蒔絵は、その粒を、面を表現するために扱っているのではないか。彼らの蒔絵は面を作っているのだと思えました。
一方、平安の蒔絵のあり方はまったく異なっています。奈良時代と同様、金粉や銀粉はまだ粗くザクザクとしていて、一粒一粒の表情が生き生きと見えて来る。その粒が集合体になって、一つの作品を作り上げている。平安の蒔絵の魅力の源泉は、そこに宿っているのではないか。
正倉院の金粉の再現は、30年間問い続けてきたこの考察を裏づける決定打となりました。そして、点で表現する美なのだから、私はこちらの表現を求めたい。点が面に奉仕するのではなく、一粒一粒の点が、生き生きと個性を発揮して場を占めている。そういう蒔絵が面白いし、美しいと思うのです」

 

●金粉の“個性”を生かすということ

今回の個展は、室瀬さんが、そのようにして30年間追い続けて来た蒔絵思想の明確な具現化だ。はじめの言葉、「私は、平均値よりだいぶ大きな粒子の粉を使っています」の真意はここにあったのだ。


室瀬和美  蒔絵螺鈿丸筥「華光」(部分)
©photo Shirai Ryo

室瀬さんは私たちの前に、特別に、収蔵庫から一つ作品を持ち出して来てくれた。千数百枚に及ぶという菊の花びらに覆われた、丸筥。その一枚一枚の中で、確かに、蒔絵粉の一粒一粒は誇らしげに、自分はここにいると主張しているようだ。気取り屋のしゃれ者、武骨な力持ち、少し角ばったこの子は理屈っぽいかも知れない‥‥そんな空想が膨らんでいく。

「蒔絵というのは、木地に、まず、布着せ、下地、黒漆塗りを何回も繰り返し行い、その上に別の漆で文様を描く。その漆が乾かないうちに、金粉や銀粉を蒔いて定着させる。そうやって制作します。
粉蒔きには粉筒という道具を使うのですが、粒子の点を意識するようになってからは、私は、蒔くと言うより一粒ずつ置いていくような感覚で制作しています。奈良時代のものほどではないですが、現在の粒子よりはだいぶ大きい、そして奈良時代と同じように不揃いで、色んな顔をした蒔絵粉。そんな蒔絵粉を自ら削り、たとえばこの丸筥の花びらに混ぜて使っています。そのような目で見て頂ければ、お分かり頂けるでしょう。
この蒔絵粉で制作するのは楽しいですよ。蒔くといやに目立つのがいて、そうすると、じゃあ、隣りにはどんな粒を蒔いてみようか。形も大きさも揃っていない蒔絵粉だから、そんな風に、偶然性を含みながら蒔いていきます。
もちろん、出来上がりのビジョンは明確にあります。たとえば、こことここには蒔絵粉の密度が濃い花びらが来て、ここには螺鈿の花びらを入れて、こことここの花びらはやや粒子の小さい蒔絵粉で構成して、というような。でも、そのビジョンにただ従うだけの蒔絵粉では面白くない。私は、言ってみれば演劇のプロデューサー。台本は作っているけれど、役者には自分の個性で演技をしてほしい。面白いヤツだな、と生かしてやるのも私の仕事だ、とそんな風に思っています」

 

●研出蒔絵という立体画


室瀬和美  蒔絵螺鈿中次「夏風」(なつのかぜ)
©photo Shirai Ryo

そして、室瀬さんは、新たに二つ、収蔵庫から作品を持ち出してくれた。一つは、茶の湯の薄茶器。蓋には、今にもくるくると動き出しそうな愛らしいリスが、青貝の螺鈿で表現されている。

「リスや小鳥、ウサギといった草木の間を遊び回る小動物は、生命体の象徴として、私が追い続けているモチーフです」

森に吹く夏の風を表現しているという青色の螺鈿は、中心のリスが夜光貝に対し、アワビ貝の青い部分を用いている。青貝の粒は蒔いているように見えるが、蒔くと貝片が重なってしまうため、一片ずつ、室瀬さんはその表情を見ながら置いている。


乾漆蒔絵螺鈿盤「慧環」(部分)
©photo Shirai Ryo

もう一作は、花菱や蝶、襷模様など、古代より日本人の生活を美しく飾って来たモチーフを現代的なアレンジで縁に配した盤だ。中央には回転する線模様が渦巻いていて、その中心から外へ、星雲のように金粉が広がっている。じっと見ていると吸い込まれていくようで、それでいて向こうから飛び出して来るような、一種魔法的な感覚をたたえている。

「それは、私の蒔絵が、立体画の手法で制作されているからでしょう。専門的な言葉で言うと、研出蒔絵。このことも少しお話ししましょうか。
お椀でも重箱でも、今、皆さんが日常的に手にする蒔絵の多くは、蒔絵の文様の部分が漆面の上に描いて仕上げられていますね。これは、平蒔絵と言って、現在最も主流となっている技法です。
一方、研出蒔絵では、蒔絵も地の面も同じ高さに仕上げられ、つるりとして境目がありません。これは、蒔絵を施した後、地の面もろとも漆で塗り込めてしまうことで実現します。その後それを蒔絵粉の直径の高さまで、地の面も、蒔絵面も、均等に研炭で研ぎ出し、最後に摺漆というコーティングの漆を吸い込ませてツヤを出します。実はこの技法が、蒔絵の原点。正倉院の鞘も研出蒔絵と同様の技法で作られています。
研出蒔絵の面白いところは、蒔絵粉を密に蒔くところから疎に蒔くところへと、ぼかした表現が出来ることです。しかもそのぼかしを粒子という立体物で行うことにより、密から疎へ、幻惑されるような高さの感覚を生み出すことが出来ます。先ほどの菊の丸筥も、すべてぼかしを入れた花びらで表現されているのですよ。立体画、と言ったのはこのような意味なのです」

更に、と室瀬さんは付け加えた。

「研出蒔絵には、時による変化という楽しみもあります。実は、今見えている蒔絵粉の下に、ところどころ、もぐり込ませるように粉を封じ込めた別の層が作ってあるのです。5年、10年、漆が紫外線を浴びて透明度が増すと、その粉が見えて来ます。時をまたぐ立体画とでも言ったらよいのでしょうか。これも、研出蒔絵だから出来ることです」

私たちはため息をついた。確かに、蒔絵は、研出蒔絵は、点描であり立体画だ。室瀬さんが「大きい粒」と言う、わずか0コンマ以下のその微小な粒の最初の粒を蒔き、最後の粒まで逃さず見つめながら、室瀬さんは創造を行っている。その集大成が一月に現れるのだ。

 

●伝統とは、新たに創ること

最後に一つ、聞いてみたいことがあった。今回の個展に掲げられた副題、「伝統を創る」というメッセージの意味だ。一般的には、伝統とは、「創る」ものではなく「守る」べきものと考えられている。室瀬さんの真意はどこにあるのだろうか。

「伝統という言葉を、“前の時代のものを一つも変えずに守り続けること”と捉えるのは、明治政府の誤訳に始まった、とても残念なことだと思っています。英語にtraditionという言葉がありますね。これは、まさに前の時代の技術やしきたりを改変せずに守り続けるということで、本来、「伝承」の語を充てるべきだった。日本語本来の「伝統」の意味は、価値観や血統を伝え続けること。その価値観は伝えるが、表現は時代によって変化し続けるのです。
たとえば蒔絵には、時代ごとに明確に様式の変化を遂げています。先ほどお話ししたように、奈良、平安時代の大らかで力強い蒔絵と明治時代の技巧的な精緻のきわみの蒔絵では、目の前に展開する世界はまったく異なっているし、鎌倉時代には沃懸地(いかけじ)、桃山時代には高台寺蒔絵という、また別の強い個性を持った様式が花開きました。
だから、たとえばどこかの蔵から蒔絵の手箱が出て来れば、私たち専門家は、ああ、これは鎌倉時代のものだね、江戸時代のものだね、と分かる。変わり続けているからこそ、分かるんです。1300年間、研出蒔絵というこの技法は愚直に引き継ぎながら、表現は時代ごとに変わっていく。創り出していく。それが伝統ということなんです。
だから、平成、そして令和の伝統は、今、創造しなければ未来に繋がらない。今回の副題に、私はこのような意味を込めています。今日、ここまでお話して来たように、蒔絵は点描であること、そして、特に研出蒔絵という技法は立体画であること。1300年変わらないその原点を真摯に見つめ返す中から、新しい表現は次々と生まれて来ます。私が創る新しい伝統をご覧になってください」


室瀬和美  蒔絵螺鈿丸筥「華光」
©photo Shirai Ryo


室瀬和美  蒔絵螺鈿中次「夏風」(なつのかぜ)
©photo Shirai Ryo


室瀬和美  蒔絵螺鈿方箱「実」
©photo Shirai Ryo



「蒔絵 室瀬和美―伝統を創る―」

▼主な出品作
乾漆蒔絵螺鈿盤「慧環」、蒔絵螺鈿方箱「実 」、蒔絵螺鈿丸筥「華光」、乾漆蒔絵水指「精」、蒔絵螺鈿平棗「春陽」、蒔絵棗「夜桜」、蒔絵螺鈿香合「錦華」、壁画「春風」ほか 約30点

▼出品作家(五十音順)
室瀬和美
鷺野谷一平/樋渡 賢/木石/室瀬 祐/室瀬智彌/山田勘太/吉田秀俊

▼開催概要
展覧会名:
蒔絵 室瀬和美―伝統を創る―

会期:
令和4年(2022)1月14 日(金)〜 23 日(日)

開場時間:
10時30分〜19時(最終日は17時まで) 会期中無休

会場:
銀座・和光 本館6階 和光ホール
〒104-8105 東京都中央区銀座 4-5-11
TEL03-3562-2111(代表)
www.wako.co.jp

アクセス:
東京メトロ銀座駅A9・A10出口より徒歩すぐ、B1出口直結