芥川賞作家 三田誠広先生の「菅原道真」

今日の和塾は、芥川賞作家、三田誠広先生による「菅原道真」のお稽古でした。
「今日は、この系図、一枚でお話していきたいと思います。二時間あるので、たっぷり、お話させていただきます」

お稽古は、プロジェクタも何も使いませんでした。資料は、たった一枚の系図のコピーだけ。系図には、60名もの、ほぼ聞いたこともないような名前が、縦横、線でつながれ、誰と誰が夫婦で、彼らの子は誰で、それがひたすら何世代にもわたって記述されている。最初、それは、まるでトランジスタラジオの設計図のように、最高にわけのわからないものでした。ところが、たった二時間後には、まるで、洛中洛外図のような、壮大なパノラマにみえてくるではありませんか!三田誠広先生の強い、深い、イメージ力が、私たち塾生の脳に直接働きかけてきたというより他ありません。

さて、菅原道真の業績は、遣唐使廃止、藤原氏によって不正に運営されていた荘園の整理、上皇制度を考案したことなどですが。
なによりも道真を特異ならしめているのは、貴族でもなんでもない、ただの学者が、天皇をも牛耳る右大臣にまで出世したことです。その後、天神さまとして、北野天満宮に祭られるようになったことです。
どうしてこのような、歴史上の奇跡がおこったのか? それが、今日の主題でした。

結論を先に申し上げると、源氏物語が書かれるきっかけになったという「伊勢物語」が最重要なカギを握っているのだということ。

伊勢物語は、実在した、在原業平(ありわらのなりひら)という史上まれにみる美男子で、歌つかいのプレイボーイの物語で、主に、業平と、藤原氏皇族の美女、高子(たかいこ)さん、との恋の物語です。
つまり、菅原道真が、右大臣になるという奇跡がおこるには、稀代のプレイボーイ、業平の恋のちからが必要だった。もし、伊勢物語に描かれた、男と女の恋の物語がなければ、菅原道真という偉大な歴史上の人物は生まれなかったというのです。

バタフライ効果という言葉があります。一匹の、蝶の羽ばたきが、そこから離れた場所の将来の天候に大きな影響を及ぼすということ。業平のたった一夜の(誰かにしくまれた?)浮気が、互いに愛しあっていたはずの高子(たかいこ)を狂わせ、後に、宮中で殺人をして天皇の位を失う、陽成を生ませてしまうのです。
一方、美しすぎる高子さんの姉で、実は業平にあこがれていたものの、本人は容姿に恵まれず、また子宝にも恵まれなかった淑子さんという人物がいるのですが、天皇になるには遠すぎたはずのかわいい幼児(のちの宇多天皇)を、業平へのあこがれの延長である美形好みから、養子として迎えていた。
殺人をおかした陽成が、天皇から引きづりおろされたあと、淑子さんの養子が、ひょんなことから宇多天皇になる。道真は、たまたま、幼少のころの宇多天皇の家庭教師をしていたということなのです。
「ひょんなことから宇多天皇になる」といいましたが、実は、道真が宇多天皇を作りあげたのですね。
それもこれも、業平が、高子さんと恋をし、それを嫉妬心をもって横で見ていた、淑子さん。そんな、歴史とはなんの関係もなさそうな日常のドラマが、歴史をつくっていくんですね。

三田先生の話は、あまりにもおもしろく、その他、桓武天皇や、空海や、紫式部や、いろいろな人物がつながって竹の子のように飛び出してきて、それはまるで、トランジスタラジオの回路図から、記号として音符が飛び出してくるようで、それがだんだんと、波長を形成し、目の前にあるはずのないラジオから楽しい音楽が聞こえてくるような、なんともマジカルな時間をすごさせていただきました。

三田先生ありがとうございました。