第百七十六回本科お稽古 日本髪大全

明治以前、日本を訪れた欧米の人々を驚かせた日本人の美しさ。それを支えた重要な要素の一つがその髪型でした。今では舞台や結婚式などでしかお目にかかることがない日本髪。その歴史とともに結髪師の先生をお招きしての実演つき豪華講座が開催されました。

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日時:2017年10月19日(火) P.M.7:00開塾
場所:来迎山道往寺
講師:東京都教育委員会学芸員 田中圭子
実演:結髪師 大庭啓敬
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日本は古代より、独自の結髪文化を発展させてきました。

日本人の髪に対するこだわりは西洋人よりも強いと言われ、江戸期の髪型は現在名前が知られているだけでも300種を超えるといわれています。同じ髪型でも公家、武家、町人によって微妙に髷の形や髪飾りがことなります。化粧と同じく身分と年齢を表すものでありました。

 

●髪型の大分類

髪型を語る上で大きく2つに分けられます。
「垂髪(すいはつ)」・・・長く垂らした髪、「すべらかし」とも
「結髪(けっぱつ)」・・・結い上げた髪
平安時代の宮廷の絵などの長い髪は「垂髪」ですね。
一方、江戸時代の髪型は「結髪」です。
戦国の世になっていくと、髪を垂らしていていざというとき動けませんから、段々と髪を結い上げて行きます。

●髪型の歴史

「古事記」や「日本書紀」の記述や、埴輪の造形から、古代人の髪型を復元することができます。
よく見る両耳の後ろで、束ねた形、「美豆良(みずら)」と言われ、支配階級から労働者階級まで殆どの男性に間で結われていたと考えられています。
飛鳥・奈良時代、大陸の文化がオシャレとされていました。なんと、682年には男女ともに大陸の文化にならってか、結髪にするようにという詔が出されたそうです。しかし、庶民はなかなか手間のかかる結髪は浸透せず、3年後には解除されます。

続いて長く垂らした豊かな黒髪を愛した平安時代から室町時代、平安時代はなんと2m位が美しいとされていたそうです。600年間位、長い髪が美しいとされていたのですね。しかし、これは身分の高い女性だけのお話。宮中の下働きの女性はちゃんと動きやすいように髪を切っていたようです。
時代が下ると宮中の女性もつけ毛をつけ始めたり、合理化していきます。抜けた髪を拾い集めてつけ毛を作ったりしたそうですよ。

そして技巧を凝らして髪を結いあげるようになった江戸時代へと変化していきます。

●日本髪の基本

現在、「日本髪」と称されている髪型は、江戸期に発達した結髪手法を用いたもので、髪を前髪・鬢(びん)・髱(たぼ)・髷(まげ)に分け、髷の土台となる根と呼ばれる部分にそれぞれの髪を結い上げます。

冒頭では「垂髪」「結髪」の2分類に分けましたが、江戸時代まででは束ねていたとはいえ髪はおろしていました。高い位置で髪を結ったのは江戸時代が初めてで、「唐輪髷(かわらまげ)」は髷の誕生ともいえる髪型です。
そののち唐輪髷をベースに4つの髪型が誕生していきます。

兵庫髷系、島田髷系、勝山髷系、笄髷系、

① 兵庫髷・・・髷の原型といわれる唐輪髷から発展したもの。後頭部に高くわっかにゆった髷が目印です。その根元にぐるりと髪を巻いていきます。その他、前髪、びん、たぼなどはおとなしい。その後、遊女特有の髪型として、華やかな髷としてバージョンアップしていきます。

② 島田髷・・・諸説ありますが当時人気の若衆歌舞伎の美少年が結っていた若衆髷を東海道島田宿の遊女が取り入れてはじまったといわれています。その後は町娘などにも大流行し、未婚の女性の定番に。見分け方は髷を折り曲げてその途中を締めていれば島田髷の仲間。

③ 勝山髷・・・下げ髪をくるっと曲げてわっかにし、元結をかけた髷。承応から明暦(一六五二〜五八)にかけて起こった髷で、諸説ありますが、遊女勝山が結い始めた説が有力とされています。男伊達風の異装を好み、着物の丹前を考案したことでも知られる勝山は、もとは賤いやしからぬ身分の出で、下げ髪を輪にした屋敷風の髪に白元結をかけた髷で道中し評判になったと伝えられます。はじめは遊女の髪型として人気となり、元禄頃には市中の若い娘らが結い始め、その後、武家や町家の妻女にもひろがりました。江戸後期には「丸髷」と称され、既婚女性の髪型として定着し、昭和の初め頃まで結われ続けました。

④ 笄髷・・・毛筋を立てたり頭を掻いたりするときに使っていた道具を笄(こうがい)という。室町時代の宮中の女性が作業のときに邪魔な長い下げ髪を笄に巻き結っていたのがこの笄髷【こうがいまげ】。既婚女性によく結われた先笄(さっこう)は、島田髷と笄髷の要素がブレンドされた裕福な町人の奥様好みの髪型。江戸時代も宮中の女性は正式な場では、垂髪がおきまり。片はづしは髷の一方だけを笄に巻いたスタイルで、サッと笄を外せば、垂髪に。

●実演

16歳でこの業界に入り約70年、80歳を超えて現役でお仕事されている大庭先生。
先生のお言葉は一言一言重みがあります。
かつての花街、根岸でかなすぎ美容室も今現在も営まれ、芸者さんのかつらや、花嫁さんの日本髪を結われています。

2本の櫛を使用してのビンを作り、櫛さばきがお見事です。

先生は頭を触っただけで、その人か文系か理系かわかってしますそうです。
昔の日本人は理系の人が多かったそう。確かに江戸時代の日本人の数学力は驚くほど高たっかとか。

●かんざし・櫛

櫛(くし)も、髪をとかすものだけではなく、飾りつけとしての役割を担っていました。
佐賀県の東名遺跡(貝塚)の中から、約8000年前のものとされる櫛が発見されています。
櫛の語源は「奇し」「串」などと言われ、「串」は神事に用いる玉串や斎串のように、神との交信を可能にする特別な呪力を持つと信じられていました。櫛は神の依代ともされ、テレパシーのように神と通じるものを頭のてっぺんにつけることで、当時の権力者や、巫女の様な人が、特殊なパワーや強い生命力を得たり、何か祈りを込めてさしていたのでないかと考えられています。

写真左は水牛の爪で作った擬べっ甲。江戸時代からべっ甲は大変高価なもので、べっ甲にをまねて作る「擬鼈甲」の技術があった。それでも水牛の爪で作られる擬鼈甲は今も昔も高級品である。

写真(中)はべっ甲のくし。模様が入らない部分のべっ甲は1匹から取れる量が少ないため、べっ甲のなかでも特に希少価値が高い。

美術館で見るような年代もののお品を特別に見せていただきました。
田中先生、大庭先生ありがとうございました。