神崎宣武特別講義・夏「お盆の話し」

もうすぐ「お盆」なのですが、あなた、そのお盆のこと、分かっていますか?
日本中の人々が、なんとなくそんな気になって、故郷に帰ったりお墓参りをしたり、休みを取ってハワイに出掛けたり・・・・。でもそれが、どんな氏素性持つ行事なのか、理解している人は意外に少ない。そこで、神崎特講。お馴染みの神崎宣武先生をお招きして、今回はそのお盆のお話しです。

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和塾本科・神崎特講「お盆」の話し
平成27年8月4日(火)国際文化会館
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先生によると、お盆にはさまざまな謎があるのですが、中でも最大の謎はその日程です。日本の様々な行事は明治以降、政府の通達等により「新暦」での実施を強いられました。お正月も、雛祭りも、端午の節句も・・、今では皆「新暦」の日程で行われていますよね。ところが、お盆だけはどういうわけか「旧暦」のまま。新暦日程の7月15日ではなく8月の15日に行われます。日本中のお盆休みも、8月半ばが共通認識となっている。どうしてなのか、謎なんです。神崎先生にも理由はわからない。誰かその謎を解くカギを見つけた人はご連絡ください、とのことですので、何か思いついた方は、まず和塾までご一報ください。

さて、そのお盆。そもそもの正式名称は「盂蘭盆経会(うらぼんきょうえ)」。見ての通り、外来の仏教行事で、盂蘭盆経を読む行事であります。日本書紀にも記載がある。盂蘭盆経(うらぼんきょう)というのは、中国で孝の倫理を中心にして成立した偽経で、釈迦十大弟子の一人である目連尊者が餓鬼道に堕ちた亡母を救うために衆僧供養を行なったところ、母にも供養の施物が届いた、という事柄が説かれている。精霊供養・祖霊崇拝に通じる経なのですね。そしてこの盂蘭盆経会は、夏の仏教行事である夏安居(げあんご)の期間に行われたようです。もっとも、元のカタチはこのように完全な寺院行事であり、現在のような庶民的民俗行事とは異なる。では、この盂蘭盆経会、どこでどうなって現在の「お盆」に化けたのか。

これとは別に、日本には古来「御霊まつり」という行事が古くからありました。御霊はつまりご先祖様で、一党が集まり祖先を敬い供養する儀式は、仏教伝来以前の民俗行事として日本各地に存在した。神人共食を核としたこの行事は、一族の長老を生見玉(いけみたま)、つまり生きている御霊として崇め、長老(=生見玉)を仲介役として先祖霊と交わったのです。言い換えるなら、神・仏が最上位にあり、ご先祖様が中間に位置し、現世の人間が下層に連なる構図。やがて仏教が伝来し、土着の宗教との融合が進み、神仏習合を通して、この御霊まつりが盂蘭盆経会とまさに習合することになるのです。

ちなみに、生見玉即ち一族の長老を敬う習俗は江戸時代になると広く庶民の間に定着。他家に嫁いだ娘が米や小麦粉を持ち帰り、それを用いて膳を整え、両親や祖父母に食べてもらうという習慣などが、関東の農村部に広がっていたようです。こうした習俗は、戦後の経済成長期を経て、盆に際しての帰省・里帰りとなって継承されている。もと、それは、生見玉へのご機嫌うかがいという意味が強かったともいえるのです。

精霊供養、祖霊信仰という思想的共通項を軸として、中国伝来の盂蘭盆経会と土着の御霊まつりが合流し、夏の「盆まつり」は明治以降の民間風俗となった。実際この「盆まつり」という言葉は、昭和40年代までは日本各地で使われていたようで、受講生の中にも記憶のある人がいるようでした。

さて、本題の「お盆」のお話しはそういうことなのですが、神崎特講はそんな単純な講義ではありません。いつものように、話題は山を越え海を越え、時代も国境も踏み越えて、前後左右に大展開します。世界遺産となった和食は、料理論で語るものではなく、食文化論で語らねばならない話しとか、大改革を望まない日本人のあり方を神仏分離から見るとか、野菜と麺と川魚という日本の夏の食の話しとか、甘くて辛い、並行複発酵の日本酒の話しとか・・・・。これはもう参加した人にしかわからない神崎ワールド全開の特講、今回もまた、居酒屋に場所を変えての食事会も含めて、濃密濃厚な素晴らしき和文化体験でありました。
神崎先生、ありがとうございました。