曲亭馬琴 発刊二百年 寿三郎流『八犬伝』の話

週末の和塾は、辻村寿三郎先生のお稽古でした。今年は、南総里見八犬伝が刊行されて200年ということで、八犬伝にまつわるお話をしていただきました。

「今日つれてまいりましたのは、ご存じ「我こそは玉梓が怨霊」の玉梓(たまずさ)です。こんなに怖い顔をしていますが、本当は優しい人なんです。たまたま、里見義実(よしざね)の敵になってしまって、自分の本意でない形で殺されてしまった無念から怨霊になってしまいましたがね。
1973年に始まったNHKの人形劇「新八犬伝」。はじめはね、こんなものは長く続かないと思っていました。夕方の本当に忙しい時間帯に、子供たちが一目散に家に帰ってくる。もっと外で遊んできて欲しかったのに、親としては迷惑な話です。そもそも、伏姫が犬と関係をもってできた子供たちの話ですよ。よくNHKが放映したものだと思います。そのほかにもエロチックな場面も結構ありましたね。
玉梓が怨霊ですが、当初は一度きりの出演予定だったんです。ところが、出なくなって、一週間、二週間したら、視聴者から、なぜ玉梓が出ないのかって苦情がきましてね(笑)。あんなに怖くて悪い役なのにねえ。当時の人形遣いは、かっこよかったり、きれいだったりする役を、こぞってやりたがるもんだから、玉梓が怨霊をやりたがる人がいなかった。仕方がないから私がやったんですが、悪役くらい面白いものはないんですね。視聴者には玉梓の面白さが伝わったんでしょう。で、玉梓を出せと。しかたがないから、毎回、玉梓が怨霊と、八犬士との対決という物語にしようということになったんです。だから「南総里見八犬伝」と「新八犬伝」とは別物なんですね。

番組が始まる前にずいぶん研究しましてね。歌舞伎なんかはずいぶん真似させていただきました。あとで知ったのですけれど、歌舞伎界で新八犬伝が話題になっていて、みなさんよくご覧になっていただいたようです。能面の先生にも指導していただきしました。大事なのは目ですね。お分かりのように、八犬士もみんな目がよっている。一点に集中するような何かを見つめる力が、テレビ画面をとおしてでも、みなさんに届くようにと。
お人形を作るとき、ちょっと変わっているのかもしれませんが、私は目から入れるんです。だって、目がないと、この子がなにを感じているのか、どんなことを言いたいのかわからないでしょう。目を入れ、鼻をかたちにし、さあ、息をすいなさいと、口をあけてやる。
お人形には本当の意味での命はないわけですが、せっかく生まれてくるんだから、ちゃんとしてあげたいじゃないですか。できる限りのことをしてあげたい。たとえば歴史上の人物を作るときには、その人が本当はどんな人物か、徹底的にしらべあげます。だから、アトリエには、いつも資料が山積みになっている。ああ、この人はこんな人だったのかとわかると、自然に、この人はこんな色の着物をきていたんだなとか、そういうのが見えてくる。あとは夢中になって作るだけなんですね。それは楽しくて仕方がない。

八犬伝をやっていたころなんて、どんどん人形ができてしまう。遊びに行ったって、なにしてたって、毎日毎日湧き出てくる。撮影が追い付かないくらいに。若かったんですね。でも、いまはそうはいかない。歳をとるといろいろな病気になる。手がですね、腱鞘炎になった。腱鞘炎というのは冷やすと、指がまがって固まってしまうんですね。いつも手袋をはめているのはそういうことです。手がちゃんと動くように。病気だからって暗くなってしまうより、それをファッションに変えて楽しんでしまう。
ともかく、こうして私は大好きな人形作りをこの歳になってもやらせていただいています。楽しくて仕方がない。あれ風邪をひいたかな?なんて思っていても、アトリエに入って人形を作っていると、治ってしまう。
理(ことわり)ということが大事だと思っています。若いころに指導くださった能面師の先生、NHKのプロデューサや脚本家、歌舞伎の世界の方々、子供のころにたくさんの物語を語ってくれた母、かかわったすべての人々。今日はこうやって縁があってみなさんと会うことができましたね。そういうすべての事がつながって今の私の幸せがある。そういった理(ことわり)を大事にすることが、物事を前に進めるには必要だと思うのです。ですが、残念ながら、いまの若い人には八犬士に与えられた文字、「仁」「義」「礼」「智」「忠」「信」「考」「悌」が、一つも感じられない。おそらく、理がおろそかにされているからです。

365日、一日一文字ずつ漢字を覚える。漢字をよく見て感じることを、私は勧めています。たとえば「心」という字を見ると、どうですか、すべてのパーツがばらばらでしょう。心というのは、もともと離ればなれなのです、努力して近づけようとしなければつながらないものなのです。それが心なのです。
そんなことを、一字一字、漢字に思いをはせることで、理(ことわり)を感じ、大事と思うことで、自らを律することができ、好きな自分になることが可能になっていく。と、そんなお話でした。

「ではみなさん、今日はお会いできて楽しかったです。」

八十歳を超えてなお、楽しく人形を作り続けることができる。人形を作る技術、感性、人とのつながりかた、自分の体調との付き合い方、それらを身につけるためには、何が大切か、いろいろな事を感じることができるお稽古でした。理を大事にし、自分を律していく。そういう努力をつんでいこうと思います。先生ありがとうございました。