日本文化市場論 第一話

日本文化について考えてみる。第一話

発足からはや6年余、和塾はこれまでたくさんの素晴らしい日本の文化を学んできました。
広く深く、優しくて心地よく、豊かで誇るべき我らの文化。しかし一方で、それらの多くがいささか厳しい局面に追い込まれていることにも気付かされる6年でした。
今年、NPO法人として起動した和塾では、さまざまなカタチでその誇るべき日本の文化に関与していきたいと考えているのです。そこで、そうした活動のひとつとして、この場を利用して日本の文化を考えてみようと思いました。「日本文化市場論」なんて、ちょっと大仰なタイトルですが、ご一読いただけると幸いです。あ〜言えば、こ〜言うオヤジ二人による往復書簡というスタイルで、日本の文化をさまざまに考察する。読者の乱入、異論反論大歓迎にて、ボチボチ始めてみたいと思います。はてさて、どうなることやら。

まずはトール君による第一信。この企画の位置づけから始まるようですよ。

前略 こうぢ殿

この往復書簡の趣旨は、衰退の憂いを抱える日本の伝統文化に、マーケティングやコミュニケーションの視点から何か再活性化の手がかりを見つけられないかということですね。
どう転がって行くか見当がつきませんが、あまり迷走しないように、最初にふたつばかり自問自答をしておきたいと思います。

まずは、そもそも自動車産業より歴史が短い程度の「マーケティング」なるアプローチで、深遠なる日本文化への有益な示唆が得られるものか。

これには僕自身、正直言って半信半疑ではあります。ただ、少なくとも面白い試みではあると思っています。というのも、和塾の中で取り上げて来たテーマのうち、特に勢いを失いつつあるものについて、いったい何が足りないのかと考えてみるとき、そこに、ほんの少々「マーケティングマインド」を効かせてやることで、うまく行きそうな直観を得ることが多々あるからです。

「文化」よりもずっと短いサイクルで数多くの栄枯盛衰物語が展開される「ビジネス」の世界で蓄積された事例や法則からは、コマ送り映像のように模式化されて見えてくる未来のシナリオがあるかもしれません。

また、文化は生き物であり、それを育て、生かし続けるには、お金がかかるのも事実です。そしてそれが持続可能性を持つためには、その「お金」が、多くの人々の関心と理解の表れとして社会システムの中で自発的に集まるような足場を持つこと、つまり「経済」との健全で継続的な接点を持つことが重要な鍵となるでしょう。
そのための、今日的な自助努力の方向を見出す必要がある。
そういう意味では、厳しい競争市場の中で常に生き残りを賭けて工夫を重ねる企業の方法論には、学ぶべきことがありそうですね。

さて次に、僕らのこうした試みは、何をゴールとして進めてゆくものか。

和塾で学んだことのひとつに、数ある日本の伝統文化活動のうち、しっかりした市場基盤や広がりのある産業構造を持っているものはごく一部にすぎないということがありました。

しかし同時に僕らは、それ以外の多くのものからも、過去の歴史の中に葬り去られるにはあまりにも惜しい、人間性への洞察や、自然との調和や、人と人のつなぎ方、遊び心の豊かさ、美しい心の持ち方などをたくさん学んできました。

僕らが目指すべきは、一部の華やかなマーケットを更に拡大するということよりも、より多くの伝統文化が、現代の生活の中で生き続けて行くための可能性を見出したい。より多くの人が、素晴らしい広がりと奥行きを持つ日本の文化に、より日常的に触れて行ける機会を作り出したい、ということだととらえています。

まずはこの二点を明確にして、進めてゆきたいと思います。

ということで、前置きが長くなりました。ご存知のように広告業界ではマーケターは「前段屋」扱いが常でして、ご容赦いただきたい。

早々

※次回はこうぢ君の返信。1週間以内に返すがルールとなってます。お楽しみに。
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