山本益博さんと巡る「江戸東京職人仕事の美食巡礼」第四回【天麩羅】みかわ是山居

江戸東京が誇る最高峰の食の職人仕事[そば・うなぎ・すし・てんぷら]を山本益博さんの案内で巡る「江戸東京・職人仕事の美食巡礼」。和塾だけの美食家「垂涎」の企画もいよいよ第一期の最終回。料理を科学する本邦最高峰の天ぷら職人・早乙女哲哉さんの門前仲町の隠れ家「みかわ是山居」にて開催しました。今回もまた、究極の美味を満喫する贅沢でまたとないひととき。ご参加の皆さまに、これ以上ない、最高峰の和文化体験をお楽しみいただきました。

門前仲町の住宅街に佇む「みかわ是山居」

さてその「みかわ是山居」、ともかくわかりにくい。地下鉄門前仲町駅3番出口を出て、右へ、ひとつめの信号を右へ、まっすぐ進み信号を越えて床屋さんに突き当たったら左へ5軒目。と、説明されても迷います。住宅街の中にこの世界的な名店がある。初めての時は、少し早めに向かうのが正解です。

是山居の扁額は、型絵染の人間国宝・芹澤銈介の手によるもの。

店内もまた、早乙女ワールドが全開です。ギャラリーのようなその空間は、所謂てんぷら屋とは別世界。ボルサリーノ型の排気ダクトに驚嘆します。ちなみに、是山居の三階は茶室もある座敷で、ご主人のコレクションが常時展示されていますから、こちらは文字通り、早乙女ギャラリーなのであります。

三階はギャラリーのような御座敷です。

そして、本日の主役、早乙女哲哉の天ぷら、であります。
最初は海老。益博さんの解説を聞きましょう。「早乙女さんは、一尾の車海老から二つの味を引き出す。胴からは海老の甘みを、頭からは香ばしい薫りを。胴の身の揚げ時間は、わずか23〜4秒、頭はその何倍もの時間を欠けて揚げ、それぞれの持ち味を引き出します」ひとつの素材からふたつの味。最初の一品、最初の一口から新たな発見がある。これこそ、山本益博美食巡礼の醍醐味であります。

先に揚がる海老の胴。甘みが溢れています。

そもそも、天麩羅という料理には、異なるふたつの調理があるのですね。早乙女さんによると「「衣に水分がある以上、100度に近い温度で蒸しているんですね。衣に水分がなくなった途端に、今度は焼くという調理が始まるわけです。つまり、蒸すと焼くの二つの調理があるのが天ぷらなんです」ということ。料理を科学する早乙女哲哉の面目躍如であります。氏がもっとも重視するのが、油の力。揚がった天ぷらを見ると、水で溶いたはずの衣に少しも水分が残っていない。これは、油には脱水する力があるからです。この脱水力を意識すると、天ぷらことが良くわかる。天ぷらとして利用可能な素材も続々と浮かんできます。天ぷらの説明をする場合、この脱水作用について解説しなければ、話はまったく先に進まないのです。 普通、ものから水分が抜ければ、しぼんでしまいます。ところが、天ぷらの種は、脱水してもしぼみません。入れたそのままの状態で揚がる。これも油の作用。つまり、種に油が入った分だけ、水が出る。水と油が入れ替わるのです。これを私は、『交換現象』と呼んでいます。

美食巡礼を通して気づくのは、最高峰の職人たちに共通する求道的精神の存在です。彼らは皆、何一つ疎かにせず、すべてを突き詰める。本物は孤高にならざるを得ない所以です。
次々と供される早乙女作品としての天ぷら。どれひとつとっても、そこに科学があり、徹底した思いがある。その深さと重みが口中へと軽やかに沈み込む。至福の時であります。

四季四回に分けて開催したこの美食巡礼、天ぷらを秋に設定したのは、秋の美食の王様「マツタケ」の季節だから。早乙女さんも益博さんも、松茸料理の最高傑作は是山居の天ぷらだと言いきります。本当に美味しい松茸の天麩羅を食せば、土瓶蒸しなど無意味に思えるものである、と。絶妙のタイミングで油から引き上げられた松茸には、その美味のすべてが封じ込められている。まるまる一本を揚げた松茸は、早乙女さんの手でスパッと二つに裂かれる。深い香を含んだ淡い湯気が立ち上ります。揚がった天ぷらはできる限り素早く口中へ運びましょう。池波正太郎の男の作法にも「揚げるそばから食べる・・・のでなかったら、てんぷら屋なんか行かない方がいい」とありますから。そして、そのマツタケ。秋の日本が胃袋へ落ちてゆく幸せよ・・・。

秋の美食の王様「マツタケ」。

是山居は一本揚げです。

美食巡礼、最後がまた特別でした。天ぷら料理の締めはご存じのように小柱のかき揚げなんですが、是山居のメニューは、てん茶と天丼のふたつ。かき揚げをそのまま客前に出すことは普段はありません。なぜならその揚げが究極の技術を要するから。今回は、益博さんからの強いリクエストでそのかき揚げをそのままでいただきました。小柱のかき揚げは、小さな天ぷら種の周縁や内側に衣が複雑に入り込んでいますよね。漫然と天丼を食べていたのでは気づきもしないことですが、他の天ぷらが周縁だけに衣があるのと違い、小柱のかき揚げは内側にも衣がある。こうした複雑な構造をもつかき揚げ、どのような状態ならもっとも美味でしょう。答えは、種の小柱はレアに揚がり、周縁と内側の衣はからっと揚がっている状態が一番おいしい。ですが、これ、素人が聞いても難しい揚げの技です。種だけレアに保ち、衣は外側も内側もすべてからりと揚げる、というのですから。早乙女さんも、常にすべてうまくはいかない、と白状する究極の職人仕事。通常メニューにはないというのも当然のことなのです。

本物の職人仕事の愉悦を胃袋におさめて、江戸東京・職人仕事の美食巡礼も無事修了と相成りました。
益博さん、そして早乙女さん、本当にご馳走さまでした。ありがとうございます。

ご主人の早乙女哲哉さん。