中秋の名月を茶の湯の聖地にて愉しみました

平安時代から貴族や文化人たちは、中秋の名月に歌を詠んたり管弦を楽しんたりと風流な宴を催してきました。それに倣おうという和塾ならではの企画「月見の茶会」です。

そもそも日本人は、季節、満ち欠けによる見え方の変化、それらひとつ一つに名をつけるほどに、月を愛でてきました。新月にはじまり晦(つごもり)までの月齢をいくつにも区別して呼び、季節ごとの月(春夏秋冬・朧・寒)、見え方(孤・淡・青・皓など)、天候(雨・無・薄)、時間の推移(夕・黄昏・有明)など、月を呼ぶ言葉はまことに枚挙にいとまがないほどです。

なかでも中秋の名月、秋の夜長にまん丸と浮かぶ望月を眺める習慣は、都市の明かりが空を狭くした現代に至っても、私たちの風流心を呼び覚まします。

この日は幸運にも中秋の名月の当日。ほかにも幸運が重なり、まさに二度とない珠玉の茶会、月見となりました。

会場の聚光院は、京都でも有数の規模を誇る禅宗寺院 大徳寺の塔頭で、千利休の菩提寺として知られる名刹。茶道三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)歴代の墓所でもある、茶の湯を嗜む者にとっては特別な場所です。

さらにこの日は、狩野派の四代目永徳とその父 三代目松栄が描いた国宝・聚光院本堂障壁画が五年半年ぶりに里帰り中。幸運にもじっくりと鑑賞することが叶いました。狩野派といえば桃山から江戸にかけ、日本美術史上で最大の勢力を誇った絵師の流派。なかでも永徳は現存作品が少なく、この規模では唯一の稀少な作品です。

茶の湯という総合的な芸術表現を大成した利休。聚光院は、名勝庭園や重要文化財の茶室・閑隠席と桝床席も利休の作と伝わり、狩野派の活躍とも合わせて、日本文化に大きく寄与した最先端の文化サロンでした。この日は貸切りで、じっくりゆっくり心ゆくまで堪能いただきました。

黄昏れました頃合いにお茶を一服。この日の亭主は裏千家茶道資料館顧問、茶道研究会会長の筒井紘一先生。もちろん正統、本格の茶会ですが、初心者でも先生のお導きで存分にお楽しみいただきました。

茶席の後は書院にて、千住博画伯の襖絵「滝」に囲まれながら精進料理の夕餉といたしました。

中秋の名月を愛でるなら京都の名刹ほど似つかわしい場所はないと申し上げて差し支えないでしょう。閑雅な秋の夜長を贅沢に愉しむ夕べとなりました。