ー茶の湯ー『相手のいる』文化ー木村宗慎先生 第八回混合クラス

日時:2010年2月17日(水) P.M.7:00開塾
場所:六本木 はん居

Text by miyaben
2月の「はん居和塾」は茶の湯のお稽古です。
六本木のはん居には、日本舞踏家・竹原はんの茶室が移築されています。
この日塾生は、案内されるままいきなりその茶室に入り、正座で先生を待つことになりました。やがて和菓子が各自の前に置かれます。茶釜がちんちんと音をたてます。静かです。
これから、どんな厳格な先生が現れ、無作法の注意をされるやら。
緊張もその極に達したとき、すっと障子が滑って先生が現れました。
茶人の木村宗慎先生です。

木村宗慎先生 はん居の茶室にて

「どうぞ足を崩してお楽にしてください。お菓子もどうぞ。……おいしいですか」
なんともにこやかな笑顔です。
にわかに茶室の空気もなごみます。御年33歳。和塾始まって以来の最年少、新進気鋭の裏千家の茶人です。
やさしげな風貌と語り。緊張が嘘のようになくなりました。
しかし先月「くのや和塾」に参加した塾生は、先生を評してこう言っていました。
「闘う茶道家」。

茶人が茶道を否定、何のこっちゃ?

出席した全塾生に茶をもてなしたあと、場所を移動して先生の講義が始まりました。
とても面白いです。
以下、かいつまんで紹介します。
「くのや和塾」のリポートとあわせてお読みください。

開口一番、おっしゃいました。
「既存のお茶会、茶道、茶のお稽古、こんなものが日本からなくなる日が来ること、それが私の夢です」
日本の津々浦々に、茶道の教室がありますが、それは「お茶の点て方の所作」を教えるものに過ぎません。15分の型を習い、空気を乱さない、そういうものに過ぎません。 都市伝説には、茶の湯の席にはこわいおばさんがいて、足がしびれても崩せず……。 お菓子が足りなければ、分け合っていただけばいいものを、まるで銀行の取り次ぎ騒ぎのように受付に文句が殺到する。実際にそういう茶会もあります。
先生はそんなお茶会なら、ないほうがいいとおっしゃいます。

和カフェには日本の心がありません。

そういうお話をうかがうと、ほっとします。
私を含む塾生のなかには、心の中で「そうですよね、お茶とお菓子をおいしくいただけばいいんですよね」と、先生に拍手を送った人もいたのではないでしょうか。
しかし、先生は返す刀で、そんな輩もばっさりと斬ってしまいます。
「それならペットボトルをおいしく飲めばいいという人がかならずいます。しかしペットボトルも和カフェも、茶の湯とはまったく別物。同一の線上にすらありません」
お茶やお菓子を味わう。それはそれでいいのですが、茶道ではありません。
なぜなら、「茶道は飲み物としての進化を捨てた」ところに、その本質があるからです。
茶の湯は「味」を捨てた!?
どういうことでしょう。
先生は茶の湯はお茶を捨て、「行為」を味わうことで進化したとおっしゃいます。
それはこういうことです。
ふつうお点前の所要時間は15分です。
でも、ホスト(お茶を点てる人)は、そのわずか15分間客をもてなすためにどれだけの時間を費やして用意をするか。炭をおこして、茶器を用意して、お軸や花など部屋のしつらえをして……。でもそんなことはおくびにも出さず、涼しい顔をして客に対する。
その「行為」自体を味わえなければ茶道は意味がありません。それを学ばなければ、お茶を学んだことにならないと先生はおっしゃいます。
思えば、この日、われわれ塾生が「はん居」に集まる3時間前から、先生とお弟子さん方は万端の用意をしてくれたものでした。
器は400年前の萩焼をはじめ、先生がひとつひとつ吟味したものを、お軸は千利休直筆の手紙を、さりげなくしつらえてくれたのでした。それは誰のためだったのでしょうか。

茶の湯の心

ようやく先生のお考えがわかってきたようです。
先生はおっしゃいます。
「お茶は日本では、唯一『相手のいる』伝統文化です。相手がいるからこそ、与える喜びがある。この与える喜びこそ茶の湯の本質なのです」
もう一度書きます。
わずか15分のお点前のために、かけずり回ってしつらえものをいろいろとかき集め、炭をおこして茶を点てて、お菓子にも気を配る、そして相手に喜んでもらう、そこに茶の湯の醍醐味があると先生はいうのです。
「ご馳走」とは、まさに走り回るという字です。
だから客もまたそれを100パーセント受け取ること、そのお互いの「行為」にこそが大事で、いくらおいしいお茶を飲んでも、ひとりでは茶の湯ではないのです。

実践なかりせば、今回の講義は頭の理解で終わりだったでしょう。
涼やかな先生の笑顔でお茶を喫し、なごやかな空気に包み込まれた15分の裏にある張りつめた茶の湯の本質の一端をかいま見ることができました。
ありがとうございます。

木村宗慎先生プロフィール
茶道家。1976年生まれ。 神戸大学法学部卒。少年期より裏千家茶道を学び、1997年「芳心会」を設立。同会を主宰し、京都・東京で稽古場を主宰。その傍ら、雑誌・テレビなどで茶道を軸に懐石料理や美術の監修構成を手掛ける。
1999年には、国連協会京都本部派遣 京都パリ文化交流使節団員として、パリ・ユネスコ本部での茶会に参加。2000年には、『婦人画報』誌上にて、デザイナーテレンス・コンラン卿を京都大徳寺に迎えての茶会と、コンランショップとのコラボレーションによる茶会を構成。
2005年、イタリア・ミラノサローネ「和空展」にて、辻村久信氏デザインの茶室の監修。
著書に「茶の湯デザイン」「千利休の功罪」がある。