ー歌舞伎~なんでもありの世界遺産ー中村福助先生 第三十五回和塾

日時:2007年2月13日(火) P.M.7:00開塾
場所:六本木 はん居

世界遺産(ユネスコ世界無形遺産)に登録されている日本の芸能は、能楽・人形浄瑠璃文楽・歌舞伎の3つ※1。どれも皆、長い歴史と伝統を背負い悠久の歴史の中その貴重なありようを守り続けてきた存在です。
と、思っていたら、歌舞伎は少し趣が違う、というのが福助先生の見解。歌舞伎はあらゆるモノをその内に取り込み「何でもあり」で進化を続けてきた変遷し続ける世界遺産なのです。

三十五回目の和塾のお稽古は、九代目・中村福助さんをお招きしてこの何でもありの歌舞伎のお話しをいただきました。

中村福助先生

そもそも歌舞伎はその発祥の時「世界的に価値の高い無形の文化財」とは対極的存在だった。出雲阿国の阿国歌舞伎は「反体制とエロ」がその存在価値だったのですね※2

その後もその存在価値ゆえに、時の権力者からの様々な横槍・迫害を受け、歌舞伎はその姿を次々と変えていく。遊女歌舞伎→若衆歌舞伎→野郎歌舞伎。能が武家社会のたしなみとして存在し庶民の目に触れることがなかったのに対し、歌舞伎は大衆から生まれた芸能。打たれても叩かれても、手を変え品を変えその存在を継続させた。雑草のようなしぶとさです。パクリ・モノマネ・本家取り。他の流派はもちろん、他の芸能からも様々な要素を取り入れる。人形浄瑠璃や狂言から歌舞伎の演目となったものもたくさんあります。能の世界では、他流派の真似などあり得ないのに、歌舞伎ではそのあたりも随分大らかです。かなり「テキトウ」なんですね。言葉を変えればとても「クリエイティブ」。
舞や語り、衣装や道具などの歌舞伎そのものももちろんクリエイティブですが、周辺環境だって相当斬新もしくはテキトウ。江戸時代既に投資事業組合による興行システムを実働させていたり、芝居茶屋による劇場管理を施行したり自らそれを廃止したり。役者の収入管理も昔からかなりイイカゲンだったようで、江戸の役者の買い物はすべてサイン(署名)で切り抜けて後はよきにはからえ(つまり踏み倒し?)だった。この状況は伝統として継続中で、現代歌舞伎はすべて松竹が仕切っているのですが、役者は松竹の社員ではなく、個人事業主として個別のギャラ交渉の上テキトウな収入を得ているようです。詳細は、和塾の趣旨とは離れますので追求しませんが。

色気とは何かを徹底的に追究し、その成果を形(カタ)として極め、それを女形の美(=形式美)として代々重んじる、といった自己探求的・技能継承的存在の重さが歌舞伎には確かにあります。けれど、だからといって歌舞伎が硬直的・頑迷固陋な存在ということには当たらない。妙に形式ばったその外面に惑わされてはいけないのです。歴史だ伝統だと必要以上に敷居を高くして権威付けをはかるのは、歌舞伎の周辺を徘徊する自らが頑迷な紳士淑女だけなのかもしれません。当の役者はそんなことよりずっと柔らかくてイイカゲン(=良い加減)。福助さんのお話を拝聴して、そう感じたのは筆者だけではありますまい。
近年も歌舞伎のこの何でもありの「伝統」は引き継がれており、スーパー歌舞伎※3やネオ歌舞伎という形で結実している。戯曲作家としても、瀬戸内寂聴・渡辺えり子・野田秀樹・三谷幸喜など他流派の人材が起用され、新しい歌舞伎の姿を今も盛んに書き加えている。歌舞伎役者による異分野への進出も多く、福助さんもつい先日テレビドラマで上戸綾と競演したとのこと※4。毎月初日から月末近くまで上演されている歌舞伎座の演目では、スケジュールの都合もあって通し稽古はわずか2~3日。それ以外は、個々の役者がその考えに応じて自分なりに一人稽古を実行するだけ。こんなところにも歌舞伎のイイカゲンでテキトウな姿が垣間見られるのです。
世界遺産でありながら歌舞伎がもつその大らかな姿勢は、歴史上の芸能では終わらない阿国以来の強い意志を感じます。そうしたあり方には、昨今様々な批判もあるのでしょうが、それはそれで言わせておけば良いのじゃないか、と思う今日のお稽古でありました。

ところで、役者にとって一番難しい演技は何か。福助さんによるとそれは「客を怒らせる演技」とのこと。ああ、なんとイヤな奴だ、と観客の立腹を引き出せれば成功。しかしそれは、泣かせたり笑わせたりするより格段に難しい。お金を払って観に来た人をひどくイライラさせるのが福助さんの次なる目標のようでした。日常生活で人を怒らせるのは簡単なんですがね。

※1:世界無形遺産(せかいむけいいさん)とは、2003年の第32回ユネスコ総会で採択された「無形文化遺産保護条約」に基づいて登録される、世界的に価値の高い無形の文化財を指す。芸能(民族音楽、ダンス、劇など)、伝承、社会的慣習、儀式、祭礼、伝統工芸技術、文化空間などが対象である。ユネスコでは、無形文化遺産保護条約の発効に先立ち、世界無形遺産の候補を「人類の口承及び無形遺産の傑作の宣言」として発表している。第1回の宣言は2001年に、第2回の宣言は2003年に、第3回の宣言は2005年に行なわれ、それぞれ19件、28件、43件が「傑作」として宣言されている。これらは条約の発効とともに「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」(代表リスト)に記載され、正式に世界無形遺産となる。なお、条約の発効後は「人類の口承及び無形遺産の傑作の宣言」は行われない。能楽は01年第一回、人形浄瑠璃文楽は03年第二回、歌舞伎は05年第三回でそれぞれ宣言・登録されている。
※2:16世紀の終わりから17世紀の初頭、出雲の国の遊女・阿国が京都を拠点に演じたものは、派手な着物を着、男髷に髪を結い、首から十字架をかけ、長い刀を差すという、一種異様な「男装の麗人」の姿で、茶屋(今で言う水商売)の女と戯れるという踊りだった。
※3:三代目市川猿之助が、昭和61年の「ヤマトタケル」にて、オペラ、京劇、小劇場など他の演劇スタイルを積極的に取り入れた独自の舞台を創出し、自ら「スーパー歌舞伎」と命名。歌舞伎のみならず国内外の演劇に大きな衝撃を与えた。福助さんも「ヤマトタケル」(兄橘姫・弟橘姫)に出演されています。
※4:テレビ東京・二夜連続ドラマスペシャル「李香蘭」(07年2月11日12日オンエア)。福助さんは長谷川一夫役で出演。

中村福助:なかむら・ふくすけ
[代数]九代目
[屋号]成駒屋
[定紋]祗園守、裏梅
伝統歌舞伎保存会会員
▼楚々とした上品な美しさの中に芯の靱さを秘めた若女方。成駒屋の女方芸を継承する重責が双肩にかかっている。最近は風格も増してきた。『本朝廿四孝』の八重垣姫、『金閣寺』の雪姫など時代物の格調高い役々に定評があり、『籠釣瓶(かごつるべ)』の八ッ橋なども今やこの人のものだろう。その一方で『盲長屋梅加賀鳶(めくらながやうめがかがとび)』では一癖ある女按摩・お兼を演じるなど、しばしば観客の意表をつくような役で面白さを見せるのも魅力的だ。
▼昭和35年10月29日生まれ。七代目中村芝翫の長男。42年4・5月歌舞伎座『野崎村』の庄屋の倅(せがれ)栄三ほかで五代目中村児太郎を名のり初舞台。56年名題適任証取得。平成4年4月歌舞伎座『金閣寺』の雪姫と『娘道成寺』の白拍子花子で九代目中村福助を襲名。
▼昭和45年、55年に国立劇場奨励賞。57年芸術選奨新人賞。59年松尾芸能賞新人賞。平成2年松竹社長賞。同年名古屋演劇ペンクラブ奨励賞。7年眞山青果賞奨励賞。8年松竹会長賞。10年眞山青果賞。13年関西・歌舞伎を愛する会賞。16年度日本芸術院賞。