ー文楽人形~修業三十年の技ー吉田文司先生 第五十九回和塾

日時:2009年2月24日(火) P.M.7:00開塾
場所:銀座 くのや 座敷

人形劇というものは世界中にある。ただしほとんどすべて子供向けです。大人のための人形劇なら日本の文楽。世界的に珍しい。日本の大人は何百年も前から今に至るまで、人形好き(いろんな人形です)が多いようであります。

第五十九回目の和塾は、文楽人形。二月の国立劇場でもご活躍の吉田文司先生と検非違使さんと娘さんをお招きしてのお稽古です。

吉田文司先生と検非違使さん

文司先生は、四国の徳島生まれ。昔から人形浄瑠璃のさかんな土地です。入学した高校で民芸部に所属。三年間のクラブ活動を通して人形浄瑠璃にすっかり魅入られた文司先生は、卒業後吉田文吾師匠に入門した。人形遣い修行の始まりです。これが、タイヘン。今どきのヒトビトには想像を絶する事態であります。

文楽は一体の人形を三人の人間が操ります。世界的にも珍しいことで、文司先生によると、世界では他にルーマニアの人形劇に三人で操る例があるだけとか。文楽の場合は、人形の頭(文楽では「首」と書いて「かしら」と呼びます)と右手を動かす「主遣い(おもづかい)」、左手を動かす「左遣い」、脚を動かす「足遣い」の三人が操ります。

お話し中の文司先生 手前は葛西聖司さん

で、その修行ですが、「足遣い」→「左遣い」→「主遣い」の順で進みます。最初は足遣いなんですが、その前に師匠の草履運びやら介錯人と呼ばれる小道具の出し入れ担当などをまず三年ほどこなします。で、やっと足遣い。でも最初はほとんど足を動かさない老婆の役の足などを担当する。中腰の姿勢でほとんど動かない足を支え続けたりします。文司先生、本番中に足がしびれて倒れてしまったことがあるそうです。やがて動きのある足なども遣いながらつづく修行の日々は概ね「十五年」ほど。それでやっと、左遣いに昇格?する。左遣いは、師匠・先輩である主遣いのまことに微妙な合図に合わせて上手に左手を操る。精神的にも肉体的にも厳しい修行が続きます。これがまた、概ね「十五年」ほど。その後、許されて、ついに主遣いとなる。つまり、主遣いになれるのは、入門から三十年以上経てからなのです。
主遣いになっても修行はまだまだ続きます。主役級の人形を遣えるようになるには、そこからさらに何十年もの年月が必要。四十代、五十代はまだ若手。本物は七十代、八十代なのですね。長生きも芸の内、がこの世界であります。

文楽人形 結構大きいものです

さてその文楽の人形です。衣装の中、首(かしら)と両手・両足がヘチマでできた肩と木製の肩胛骨?につながれている。それ以外は空洞です。つまり、胸とか腹とか腰などはありません。これに「人形拵え(こしらえ)」と呼ばれる着付けをして着物を縫い付けている。着物の背中の下部、腰の辺りには主遣いが左手を差し入れる穴が空いている。

腰の部分 こんな風に穴が空いています

足は膝関節部分が可動。手にはいくつか種類があって、肘・手首・指が可動。女方には、楽器を奏でる時に使う特殊なものもあります。ただし、女方には足がない。足遣いは着物の裾をさばいてさも足があるように操るのです。何もない着物の中で腕と手を駆使し、「立て膝」なんてポーズもつくっていきます。

足と手

女方には足がありません

首は板状の肩胛骨にある穴に差し込まれている。首の下には胴串(どぐし)という握りがついていて目や口を動かす仕掛けがある。主遣いはこの胴串をつかんで首を操ります。仕掛けの部分にはバネが仕込んであるのですが、その素材は鯨の髭。薄く短冊状に加工したものを使います。

文楽人形の首(かしら)は役柄に応じて約四十種ほどがあります。今回文司先生がご持参されたのは、男役の検非違使(けんびし)と女方の娘です。文楽人形の首は能面などと同様、基本的に表情のない状態でつくられている。この無表情な人形にさまざまな感情を与えるのは、人形遣いの技術なのです。ちょっと気になったのが、人形の作り手の問題。現在、文楽人形の製作者は一人もいない、というのです。多くの文楽人形を手がけた大江巳之助さんが平成九年になくなった後、補修・塗り替えの職人はいるものの、一から完全な文楽人形を作り上げることのできる人はいなくなっている、とのことです。

検非違使の首(かしら) 胴串がついています

人形の詳しい説明の後、主遣い文司先生による人形遣いの実演がありました。といっても、常は三人で操る人形を一人で遣うのはちょっとたいへん。ゲストの葛西先生の手助けを得ての実演となりました。
それまで、台の上で頭を垂れ、両手をぶらりと下げていた人形に命が吹き込まれる。泣いたり、笑ったり、悔しがったり。確かに人形なのですが、生きている。三十年を超える修行の成果は確かなものです。首の向き、目線、肩の傾き、肘と腕と指の角度。すべてがある調和の一点を捉えた時、人形が人間以上に人間になる。いくら書いても、見ないと分かりませんな。塾生一同驚いた、ということだけお伝えしておきましょう。

人形遣いは客が観てどう感じるかがすべて。操る技の善し悪しも、基準は常に客の目線にある。けれど、人形を操る遣い手は舞台の上にいるのだから、その人形が客席からどう見えているかはわからない。文司先生のような遣い手なら、身は舞台にあっても、その視線は客席にあるのでしょう、という葛西さんのことばに、深く頷く塾生諸氏でありました。

文司先生と葛西先生 ダブル講師の贅沢なお稽古でした

文司先生ご出演の次回東京公演は五月の国立劇場。九日から二十四日まで。東京の文楽公演はチケットが直ぐに売り切れます。ご入用の塾生は、お早めに世話人までご連絡ください。
その後六月、日本の文楽ご一行はロシア公演に出かけます。この驚くべき大人の人形劇を、異国の人びとがどう見るのか。何を感じるのか。ご帰国後の文司先生のお話を伺いたいところです。

最後の写真は、お稽古前に世話人有志が国立劇場までご挨拶に伺った時のものです