ー市松抱き人形ー藤村光環先生 第八十一回お稽古

日時:2010年12月14日(火) P.M.7:00開塾
場所:藤村人形店

Text by nn
今回のお稽古は「市松人形」
このどことなく不思議な魅力を持つ可愛らしい人形、今めっきり目にかかることが少なくなりました。
最近の若い人が、どこで見かけるかというと、すぐに思い浮かぶのが、テレビ番組の心霊コーナーの中だったりするかもしれません。
他では、旅館やおばあちゃんの家に美しく飾られていたり、ファンやコレクターや骨董業者の間で、高値でやりとりされていたりと、どこか自分たちの手では触れてはいけない、自分たちの生活とは遠いところにある感覚を持ってしまっているかもしれません。

しかし、かつては一家に一体はあったといわれる市松人形。もともとは、女の子が子育てや裁縫を学んだり、ままごとをしたり、着物の着方やおしゃれな組み合わせを研究したりもできる着せ替え人形としての役割もあり、ずっと手元で一緒に遊んでいたものなのです。

今回お稽古を付けていただいたのは、藤村光環先生。昔からの製法をそのままに受け継ぎ、守っている数少ない人形師の一人です。

藤村光環先生

この度は贅沢にも、本所吾妻橋にある先生の仕事場にお伺いさせていただき、仕事道具や人形に囲まれた独特な雰囲気の中、先生にお話を伺うことができました。

藤村先生の仕事場

本所近辺は江戸時代、明暦3年の大火事から移り住んできた武家が住んでいた地区。碁盤の目に整備されたこの地区には、その後明治維新によって失職した武士からの転身もあり、様々な職人が集まることとなりました。先生の隣家も墨汁屋さん。かつては、テントのような開放的な建ての住居が多く、様々な職人たちが働いている姿を横目に観ながら生活していたとのこと。そんな歴史と雰囲気のある職場から。市松人形のお話を。知れば知る程、歴史や文化の変容が透けて見えてきます。まずは、全74工程もある造作の過程から振り返っていきましょう。

ブリュやジュモーといった海外の多くの人形は頭がビスク(焼き物)でできているの対して、市松人形は桐の木の粉で作られはじめました。まずは、人形の頭より一回り大きな頭の原型を作成し、それを使って松ヤニで型をつくります。木の粉に米糊を混ぜ粘土状にしたものを、その型に入れ乾燥させます。

頭の原型

その型を作る際の原型には、作家の個性が表され、かつては親子でも原型を渡さなかったといわれる程。ちなみに市松人形は、職人によって個性豊かな表情を持っています。参考までにお弟子さん(明咲さん)の作品です。

明咲さんの作品表情

明咲さんの作品の方は女性らしく、比較的目がパッチリしていて(より現代人の美的感覚に近い?)可愛らしさが感じられました。

頭部を乾燥させた後、周りを整え、目を植えます。目は、ガラスに書いた目、いまでは義眼も使用されているとのこと。そこに、牡蠣の貝殻でできた胡粉と牛や馬の骨髄からとられる膠(今でいうコラーゲン)を混ぜたものを塗ります。その塗りが20数工程。地塗り、中塗り、上塗り、磨きをした上で、まぶたと髪の毛を植えます。まぶたは、同じく胡粉と膠でできたものでいったん目を塞ぎ、その上から彫刻していきます。爪も同様とのこと。

目を植えた状態の頭

そして髪。髪は、頭部に掘込みを入れ、そこに挟み込みます。素材は、実際の人間の髪の毛。主に中国やインド、東南アジアの少数民族の髪の毛とのこと。かつては日本人の毛も売買が多かったそうです。舞台小物など、エクステやカツラの髪も、ほとんどが中国や東南アジアから輸入されているようですね。その髪を、脱色し、油を抜き、染め直して利用します。絹も使うことがあるが、やはり不自然なので、あまり使用しないようです。ちなみに男の子は毛を使用せず、書き足されることが多い。


ところで、市松人形の髪型。基本的におかっぱばかりですよね。これは戦後まもなく流行した髪型がおかっぱや三つ編みで、それが反映されたものとのこと。当時、市松人形は時代の風俗を反映させたものだったのに、今ではパターンが固定されていることが多いです。時代の流れとともに、当代の風俗を追うものだった市松人形が、ノスタルジーや伝統品としての魅力をもったものという見方に変わってきたということが髪型からも伺えました。おかっぱはボブと名前を変え、今でも人気はありますが。

話は戻り、塗りの際は弁柄、灰墨を仕上げに塗ります。墨をいれることでより人間の皮膚に近い色になるとのこと。その上で磨きます。磨くと膠の影響で艶が出てきます。艶が出てくると、美しくなるだけではなく、汚れにくくなり、それが常に手元において置くものであった人形としては、非常に大切な行程となります。ちなみに、男の子の耳は少し猿耳に、女の子は髪の毛があるのであまり広げないそうです。

関節はいくつかのパターンがあります。布であったり、針金、三つ折り式、間に球体がはいったものだったり。正座ができるようにつくられるなど、リアルに動くように工夫されています。男の子と女の子の人形は、それぞれちゃんとシンボルも作られていました。

この市松人形、頭とお腹には鉛が入っており、関節は絶妙な具合でダラッとなるように作られているため、非常にリアルな抱き心地をもっています。一度抱いてみると親心が目覚めるのか、なかなか離し難い感覚に捕われてしまいました。おもわず赤ちゃん言葉で語りかけそうになり我に返ります。
光環先生の作品には、より本物の抱き心地を感じるための秘密の仕組みが隠されているとのこと。もし皆様にも機会があれば一度抱いてみて頂きたいです。かつては子供の身代わりとしても保持された市松人形の魅力が体感できると思います。

胴体には作者の名前が入ります

そもそも市松人形の市松とは何か。江戸時代に人気のあった歌舞伎女形の佐野川市松の名前をつけたら売れたからその名前で呼ばれるようになったとも、当時の子供に多い名前が市松だったからとも、中国の市松文様の着物を着せていたからともいわれています。お腹に音のなる仕組みがあるため「泣き人形」とも呼ばれていたそうです。

明治時代には、圧倒的に男の子の人形が多かったといいます。それは、人形を買うと子供が産まれるという話があり、男の子が欲しいという当時の世相を反映したものだったようです。昭和になって、女の子の人形が増えてきます。先生曰く、身代わりとして人形を使うという文化は世界でも日本ぐらいとのこと。

1927年には、人形大使として58体、アメリカに送られました。それは、第二次世界大戦前、日米関係が不安定になってきた頃、アメリカより友好の証として送られてきた約13000体の青い目の人形のお礼に作成されたものでした。

その答礼人形、クリスマスでの完成に合わせて作成することに決まりました。
人形の作成は間に合う。でも、人形に合わせた着物が間に合わないとの問題が発生。
急遽、既にある3歳児の着物に合うサイズで人形を作ることになったそうです。
その2尺5寸のサイズが市松人形の一番大きなサイズとなっています。
その答礼人形を作成する際、各地から集められた職人がコンテストを開催し、選ばれた人形が送られたのですが、その職人達は現在でも巨匠といわれているそうです。

その後、アメリカではハリケーンなどで数体が失われましたが、今でもメンテナンスに光環先生のもとに里帰りされるとのこと。人形には、一体一体、ミス○○など各地域の名前がついています。ところが、15年前に里帰りしたミス福岡は、現在横浜人形館に眠っています。
それはなぜか。一度メンテナンスで里帰りした際、福岡といったら博多人形だろうとの話になり、ミス福岡の代わりに博多人形がアメリカに送られたそうです。
ちなみに、日本に来た青い目のお人形は、戦争中、多くが壊されました。現在残っているのは40体程。悲しい話です。
現在の状況は、日本郷土玩具博物館のHPでも確認できます。

細かい手作業の行程を経る市松人形も戦後、プラスチックやビニール、セルロイドなどの新素材の普及とベビーブームを背景に、大量生産する目的で簡略化された人形が普及しはじめます。その流れに多くの人形店が乗っかり、価格競争の末、質が低下、廃れていきました。その流れに乗らずに、昔ながらの作り方を受け継ぎ、つくり続けている職人は、数が少なくなってはいますが、その作品は高く評価されています。ファンやコレクターも多く、中には数千万円も価格がつくものも。
ただ、抱いたときにこそ市松人形の良さが改めて実感できます。鑑賞のためだけではなく、もっと身近なものとして、昔のように子育てを学ぶパートナーとして、市松人形が生活の中にあっても楽しいのではないかと素直に感じました。

今回のお稽古で市松人形との距離が少し近づいた気がします。市松人形を通して、日本がたどってきた歴史や社会背景、価値観の変容もかいま見ることができたお稽古でした。

先生は、21年9月8日に名前をかつての明光から光環に変更されました。
夜の月の周縁に浮かぶぼんやりした光の環。それが名前の由来とのこと。
新しい名前を持つということは、知られた名前を捨てることであり、改めて名前を知ってもらうために、いい仕事をしなければとの気持ちで、再出発の気持ちで仕事をしているとのこと。
現在は、ユニコーンや座敷わらし、不思議の国のアリスのウサギなどの創作作品もお作りになられています。

座敷わらし

オーダーで、自分や家族などの顔に似たものも作成することができるとのこと。贅沢です。一度、自分の飼い犬に似せて作ってくれとのオーダーもあったとか。

ちなみに、本所のある墨田区は伝統工芸の多い区で、3M運動というものを行っています。その3Mとは、Museum(博物館)、Meister(職人親方)、Manufacturing Shop(工房ショップ)の頭文字です。羽子板、足袋、木箸、藍染、かんざし、江戸小紋にべっ甲工芸など、各職人さんの仕事場やお店、小さな博物館が集まり、高い技術やすばらしい作品に身近に触れることがでる区となっています。ちなみにスカイツリーも墨田区です。こんなにも伝統とそれに裏付けられた魅力の凝縮されたところとは知りませんでした。ご興味をもたれた方は、一度足を運んでみてください。藤村先生の個展や人形店へも是非。