ー小鼓〜たんぽぽの音色ー望月美恵先生 第三十一回和塾

日時:2006年10月10日(火) P.M.7:00開塾
場所:六本木 はん居

鼓は左手に持ち右の肩にかかげ右手で打つ。これ、常識なんでしょうが、ある種の人にとってはとっても新鮮。『鼓』と言われて、「イヨ〜、ぽん!」なんてオノマトペア系のことばしか思いよらない我らもその類。今月の和塾は、望月美恵お師匠をお迎えして、新鮮至極な小鼓のお稽古です。

望月美恵先生

お稽古はまず鼓の構造の話しから始まった。鼓は三つのパーツでできている。表と裏二枚の振動部は、鉄の輪に竹の皮を巻き馬の革を張って後側で縫い合わせ漆で固めてある。馬の革はなるべく若いものが良い。生まれる前の馬革、つまり母馬の胎内にいる子馬の皮が使われたこともあるとか。

共鳴部である胴は桜の木。乳袋と呼ばれる上下の膨らんだ部分とそれをつなぐ円柱部分からなる全長は25センチほど、重さは500グラム弱。中はもちろんくり抜かれている。胴にはたいてい蒔絵が施されている。道具商や美術商に置かれた鼓の胴は蒔絵の出来でその価値が決まる。音色の善し悪しは関係ない。以上ふたつのパーツ、振動部と共鳴部を組み合わせてつなぐのが調べと呼ばれる麻紐。麻をよって朱に染めてある。調べ紐は鼓の音色にとって非常に重要で、弾力がなくなれば直ぐに取り替える必要がある。

革と調べ

胴の内側

革・胴・調べ、三つを組み合わせれば鼓はできあがるが、良い音色のためにもうひとつ、調子紙が必要だ。調子紙は湿らせたうえで裏革に貼り付けて使う。その日の天候、気温、湿度によって湿らせる度合いや貼り付ける枚数が変わる。微妙な調整は素人には難しい。音色の調整は演奏中にも行われる。舞台の上で革や調子紙に湿りを加えるために指をなめる小鼓方を目にすることがあるはずだ。

次にその演奏法。まずは構え。正座をします。膝の前に置かれた鼓の調べ、つまり麻紐を左手でつかむ。いったん鼓を膝の上に据え、右の肩にかかげる。右の頬と耳の真横に鼓がある。背筋は真っ直ぐ。表革はやや下に向ける。身体を少し前に倒すくらいが良い。右手は右膝の横に構える。その位置から表革の真ん中を右手の指で打つ。あるべきは、「鼓の後面(うしろ)へ、打ち通す、これ一気を以て貫くなり」の心意気。

といっても、この構えでは自分自身の鼓の状況はほとんど掌握できません。目玉を右いっぱいに向けて肩の上の鼓を見ようとしても、表革のうしろと調べの麻紐が眼前至近距離にあるのが分かるだけ。つまり、自分の指が革のどこを打っているのか自分では見えないのだから、上手く打てているのか拙いのか、どうにも分かりにくい。何度か打っていると、まれにそれらしい音色にあたるが、それを目視できないから繰り返すことができない。構えと指の感覚で覚え、正しい位置を打てるようになるまで、常に良い音色が響くようになるまで、つづけて打つしか仕方がない。和の芸事は、ここでもまた、稽古をひたすら積み重ねることを要求するのでした。

鼓の打ち出す音は二類四種ある。甲高い音と柔らかい音。それぞれに小さな音と大きな音がある。ぽん、だけではなかったんですね。お稽古ではそれぞれ「ち・た・ぷ・ぽ」と呼んで使い分ける。音の変化は打ち込む革の位置と調べの締め方でつくる。つまり、右手指の位置と左手の締めで決まるということ。素早く強く正確に革を打ち、打つと同時に左手を緩める。なんてことが、初めて鼓を手にした連中に出来るわけもないのだが、一応努力はする。恐らく偶発的に狙いの音色を手にしてニンマリする人も、いましたね。

稽古をつけていただいた『三番叟』は、このうち「た」と「ぽ」が繰り返し出てくる。「た」は革の端を、「ぽ」は真ん中を打つ。「ぽ」を打つ時、指が革を打った直後に調べを緩める。調べは、締めると音が高くなり、開くと音が低くなる。「た・ぽ・た・ぽ・た・ぽ・ぽ・ぽ・・・、イヨ〜、た・ぽ・・・」とお師匠さんの声に合わせて鼓を打つ塾生の顔は真剣ですが、音色はお笑いですね。先生のお弟子さんが少し呆れている。そうこうするうちに、鼓を持つ左手が震えだし、右手の指が痛くなり、正座の脚が痺れだす。四十の手習い、ラクではありません。

お弟子さんのミヤザキ嬢

ちなみに、浦公英はタンポポと読み、別名を鼓草と言う。その花ふたつ、茎を合わせてつなげると鼓のカタチになる。「た・ぽ・た・ぽ・た・ぽ・ぽ・ぽ・・」と繰り返す鼓のお師匠さんの稽古の声を聞いた子供たちが、鼓に似たこの花をいつしか「たんぽぽ」と呼び始めたのが蒲公英の名の由来とか。

三十二回目の和塾のお稽古は、はん居の能舞台から響く美恵先生の鼓の音色を堪能して、「イヨ〜、ぽん」だけだったその知識を少し高めて、ありがたくお開きとなった。