『囲碁~深~い遊びを軽~く学ぼう』講師:石倉昇 先生

日時:2013年4月17日(水)19:00開塾
会場:六本木/国際文化会館
講師:石倉昇 先生

今回の和塾ではNHKの囲碁講座も担当される石倉昇九段が招かれ、囲碁の歴史や基礎を教えて下さいました。今、囲碁は若い人、特に女性に大人気!6世紀頃、仏教と同じころに中国から韓国経由に日本に伝わってきたと考えられています。中国においては囲碁が古くから君子や教養人の嗜みと見なされていました。「碁」とも呼ぶことありますが、「琴棋書画」の中の「棋」(「碁」という字は「棋・棊」の異体字)に当たります。日本では、『万葉集』(7世紀~8世紀)に囲碁の歌がすでに出てきます。『源氏物語』(1001年)や『枕草子』(10世紀~11世紀初期)には専門的な囲碁の言葉が使われており、紫式部や清少納言は囲碁が好きだったことだけでなく、当時の上流女性が囲碁を楽しむのは一般的であったこともうかがえます。最もよく知られるのは『源氏物語』の「空蝉」の巻。空蝉と軒端荻が囲碁を打っているところを源氏に垣間から見られるという場面です。室町時代(1392~1573)や桃山時代(1573~1615)の襖には、狩野派の絵師が「琴棋書画」を画題とした絵をよく描いています。

また、天下をとる前から、徳川家康が囲碁の会をよく開いていたそうです。人脈を広げるために囲碁の会を利用した、関ヶ原合戦勝利の大事な戦略道具であったのではないかという意見もあります。その後も徳川家康は囲碁の重要なパトロンであり、江戸時代に一般町人にも広まりました。

さて、囲碁とはどういったゲームなのでしょうか?
二人の対局者がいろいろなマナーやルールを守りながら、交互に盤上に白石と黒石を置きます。ゲームの目的は、自分の石で囲んだ領域の広さを争うことです。相手に領土を与えたり、与えられたりしますが、与えすぎても良くないし、欲張りも良くないので、バランスが大事なのです。

勝負はどう決まるのか?
一番驚いたのは、自分の石を多く置けば、置くほど領土が増え、勝ちということではないということです。自分の石で囲んだ空地を領土と見なし、空地[=地(じ)]の多い方の勝ちになります。つまり、残っていた「間」に注目するのです。対局者が獲得した地の数の差を数え、「~目(もく)勝ちです」と言います。戦国時代の国と国、武将と武将の戦いに似ていますね。

囲碁の起源は明らかではないですが、『論語』の記述から、すでに春秋時代(紀元前722-紀元前481)に成立していたことが分かります。当時はどういった碁盤が使われていたのかは判明していませんが、現在では、プロの囲碁ゲームでは19路盤が使用されています。碁盤はいいものですと、カヤ、イチョウ、桂、または桜から作られ、白石の上級なものは貝(蛤)を、黒石は粘坂岩を使用します。元々碁盤を暦や占いに使用されたという説があります。この説によると、碁盤の大さは(19路x19路=361路)一年間が持つ日を表し、碁盤自体がひとつの天体、宇宙というふうになっていたそうです。盤に9点の黒丸がありますが、その中央にある点を今でも「天元」と呼び、他の8点を「星」と呼びます。以上の説から、囲碁は陰陽五行思想を反映し、白石と黒石が陰陽関係を表し、碁盤の四角形は五方・五行に当たります。当時、天災など占う際に、陰陽・白黒の石模様のバランスを重視していたではないでしょうか?今の囲碁ゲームでも領土を争う際に、その「陰陽・黒白石」のバランスが大事になってくると言えます。陰陽関係のバランスと言えば、紫式部も囲碁の石の関係を男女恋愛関係に喩えていました。同じように、囲碁というゲームを我々の日常生活にも喩えることができるではないかと思いました。

囲碁のゲームには、3つの簡単な法則があると先生に教えられました。
第一「まわりに来たらごあいさつ」、第二「危ないナナメにご用心」、第三「入れてくだい」「いれません」という法則ですが、面白いことに、石がお互いに話しをかけているかのような感覚です。実際に、囲碁を「手談」とも呼ぶことがあります。ルールは簡単ですが、簡単なルールからこそ無限の可能性があり、ゲームは難しくなります。

今、先生は東京大学で囲碁を単位が取れる授業として教えておられ、他の大学にも囲碁の普及活動中です。普段、大学では暗記の勉強が多くて、左脳を使いますが、囲碁は右脳を使うことが多いため、良いバランスになるそうです。囲碁をやると、実際に、さまざまな能力が身につくそうです。「考える力」、「コミュニケーション能力を高める」、「バランス感覚を養う」、「忍耐力をつける」、「集中力を高める」、「大局観を養う」、「礼儀が身につく」さまざまことを鍛えることはできます。右脳を使いますので、画家や美術をやっている人が特に得意らしいです。先を合理的に計算するというゲームより、石模様の形を「絵」としてとらえる、感覚のゲームだとも言えます。私もついにハマってしまい、先生の囲碁教室に通い始めました。[記:Fabienne Helfenberger]