「京町家の暮らし」を学びました〜和塾のお稽古・第271回

京の中心、四条烏丸の南西綾小路通りに面する一角に、風情ある歴史的景観を持つ「杉本家住宅」はあります。通りに向かって戸口を開け、「鰻の寝床」と呼ばれる奥行きのある細長い造りは、典型的な京町家の姿であり、京都の象徴。江戸時代から続く長い歴史の中で、様々な暮らしの知恵と工夫を積み重ね発展してきました。今も節句や年中行事とともに四季の移ろいを楽しむ暮らしが今も営まれています。

和塾定例のお稽古は今回、市内最大規模の京町家で重要文化財にも指定されている「杉本家住宅」で生まれ育った杉本節子さんをお招きしました。杉本節子さんは、杉本家十代目当主として、貴重な建物の維持保存はもちろん、京町家の暮らしの文化の伝承に努められています。

町家建築の構造や意匠、季節ごとの室礼や祇園祭のこと、そして代々伝わるおばんざいについて、お話を伺いました。

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日時:2022年4月20日(火)PM 7:00開塾
場所:来迎山 道往寺
講師:杉本節子
(公財) 奈良屋記念杉本家保存会常務理事兼事務局長
料理研究家、エッセイスト
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杉本家は、江戸時代の1704年に三重県伊勢地方の農家に生まれ、京都で丁稚奉公していた初代が、暖簾わけで独立し、1743年に呉服商の「奈良屋」を創業したのが始まり。最初は小さな借家で始めましたが、やがて現在の地に住まいと店舗を構えます。

「奈良屋」は、京呉服を仕入れて関東地方(主に千葉県)で販売する、いわゆる「他国店持京商人(たこくたなもちきょうあきんど)」として繁栄したそうです。京都では、家族や20人ほどの奉公人含め、大所帯が一緒に住まいし、商いをしていたそうです。昭和初期には株式会社奈良屋として呉服商から百貨店へと発展させました。

住まい兼店舗の建物は、1864年に起きた禁門の変(蛤御門の変)に伴う大火により主屋が焼失してしまいます。現在の家屋は1870年に再建された建物で、2020年には築150年を迎えました。

主屋は、表通りに面した店舗部と裏の居室部を取合部でつなぐ「表屋造り」です。京格子、大戸、犬矢来、厨子二階に開けた土塗りの虫籠窓(むしこまど)など、美しい京町家の意匠が残っています。

各一間半の床と棚を備えた座敷、仏間、そして大きな台所には黒レンガ造りの「おくどさん」と呼ばれるかまどが備えられ、炊事による熱や煙などを逃がすように吹き抜け空間になっています。

座敷や仏間には庭も付随しており、これらの庭は、京町家の庭として初めての国の名勝になっています。仏間の庭は、西本願寺の北能舞台の白州を模したもの。杉本家は、かつて西本願寺の直門徒として勘定役を務めるなど浄土真宗を厚く信仰してきました。黒樂茶碗の原料となる稀少な黒い滑石(なめりいし)が敷き詰められ、銅の水盤を据えた庭は、親鸞上人の教えに基づいた信仰の鏡としての意味を持っています。

すべての滑石は、年に2回、1つ1つ丁寧に磨いてお掃除するそうですよ。

杉本家には暮らしの決まりごとを書き印した「歳中覚」と呼ばれる暮らしの備忘録が江戸時代から受け継がれています。1月から始まり12月まで、月ごとに代々のご先祖さまが書きとめた、守るべきしきたりや習わしを伝える書。まず、普段の朝夕の食事はお茶漬けと漬物のみで、昼はご飯と一汁一菜。野菜を中心としたおかずで、魚は月3回と、質素倹約を心がけたとても簡素なお献立です。一方、桃の節句や端午の節句、祇園祭などのハレの日には贅沢料理でお祝いします。歳中覚には、季節に合わせた室礼も細かに記され、時代ごとに追加修正も加えられているそうです。

最後には、杉本節子さん直伝のとっておきのおばんざいレシピも教えていただきました。

巡る季節を感じながらメリハリのある暮らしを楽しみ、慎み深く丁寧に生きる ー 次代に伝えたい旧商家の美しい生活がありました。

杉本節子さん、どうもありがとうございました。