ー日本酒~日本の契りー神崎宣武先生 第五十六回和塾

日時:2008年12月9日(火) P.M.7:00開塾
場所:銀座 久のや 座敷

年末年始の話しのネタに、とか、聞き酒ができるんじゃないか、などという浅薄な動機も少しあって、今年最後のお稽古は「日本酒」の勉強。しかしその実態は、想像以上に広くて深い日本人の有様にまで関わるお話しでありました。

お出でいただいたのは、神崎宣武先生。あの宮本常一の鞄持ちだった!、という民俗学の研究者。岡山の宇佐八幡神社の宮司でもあります。

神崎宣武先生

そも、日本酒というのは世界でも特殊な酒で、そのものも特殊なら、その作法やあり方まで特殊。酒を中心とする食も含めて、日本文化を形作る、なくてはならない存在なのです。なのに昨今の消費量は全アルコール飲料の中でわずか9%。日本人が日本酒を口にする機会が極端に少なくなっている。それはつまり我々日本人の生活文化の衰退でもあるのですね。

日本酒はワインやビールと同じ醸造酒。その特色は「辛さと甘さの共存」にあります。つまり、アルコール度数も糖度もどちらも高い。ワインの度数は12〜13、ビールのそれは4〜9なのに比べ、日本酒のアルコール度数は原酒段階で21度にもなります。つまり辛い酒。しかも糖度が高いから飲む時は塩分を加える必要があります。なので、日本酒のつまみは塩辛いものが多い。升酒に塩を盛るのも糖度が高いからなのです。
特異な酒は特異な製法から。日本酒の醸造法は世界的にも珍しいものです。「併行複発酵」というのがそれ。酒造りにはアルコール発酵を促すスターターが必要ですが、日本酒の醸造ではこのスターターが二つある。1:麹(こうじ)と2:酒母=酛(もと)の二つ。日本に独特のこの酒造法によって、日本酒は世界の醸造酒の中でももっともアルコール度数の高い酒と成ることができるのです。このような日本酒の製法、室町期には既に確立されていたようです。

日本酒はその飲み方・供し方も独特なものがあります。清酒は必ず酒肴を伴う。単独ではいただかない、ということです。まあ一献、と酒をすすめる時、その一献には酒と肴がセットされている。それが日本酒の作法でもあったのです。
例えば、鎌倉時代の武家社会、出陣の酒宴での式三献。一献、二献、三献と酒を飲み交わすのですが、それぞれが肴とセットになっている。戦の勝利を祈願し、主従の契りを新たにする出陣の宴では、酒肴にも趣向あり。一献に打鮑(うちあわび)、二献に勝栗、三献に昆布。「うち勝よろこぶといふ心なり」(軍用記)ということです。さらにこの時、三つの盃を三口で飲み干すという三三九度の作法が見られます。現在では結婚式においてわずかに継承されている盃事(さかづきごと)であります。かつては、出陣の宴での主従の契りだけではなく、親子盃、兄弟盃などの「契り」が酒を媒介に結ばれていた。三三九度を基本とした盃事は日本における契約の儀礼だったのです。

もうすぐお正月ですが、正月の盃事といえば屠蘇祝いがある。これも一年で最初の家族の契約であり、日本人として大事に伝えていかなければならない文化なのだ、というのが神崎先生の考え。和塾の塾生なら、一年初めの行事ぐらいはしっかり実行せねばなりませんぞ、とのことです。
門先に松を飾り、鏡餅を供える。いずれもヤマの彼方から降りてくる歳神(としがみ)の依代(よりしろ)。神霊が宿る鏡の前で家族が揃って盃を交わし、一年の無事を盃事で固める。その後家長が歳神の御魂を分け与える。これが歳魂(としだま)で、今ではお年玉と呼ばれる現金供与に成っているのです。

ところで、東京の酒屋には「三河屋」の屋号が多いのですが、その理由、今回のお稽古で明らかになった。余談ですが、以下に記します。
江戸の頃、酒は皆上方からの下りものだった。灘地方(兵庫県)で造られた酒が上方商人の手を経て帆船で江戸まで運ばれたのです。灘の酒を江戸へ運ぶのを業としたのが樽廻船で、この廻船の制度が整うことによって江戸の町民が飲酒に馴染むことができたのです。最盛期には年間に90万樽もの酒が江戸に運び込まれた。四斗樽だと36万石。江戸の人口を大雑把に100万人とすると、単純計算で一人当たり四斗弱、一升瓶なら三十数本もの消費量でこれは相当なことです。江戸の人々、酒飲み過ぎじゃないですか。
で、この廻船ですが、江戸に向かう途上三河湾に浮かぶ小島・佐久島に給水で立ち寄った。当時の船では抜け荷がつきもので、佐久島でも廻船の樽から酒を抜き取った。抜いた分は水でうめた。全体の一割から二割を抜いたというから相当な量の濃度の高い高品質の酒が佐久島の人々の手に入ったのです。この抜け荷の酒は、島出身の者、つまり三河者が酒屋となって江戸でさばいた。てなことで、江戸・東京には三河屋という酒屋が多数生まれることになったのです。

製法から作法まで、日本酒を取り巻く広大で深遠なる民俗文化の尽きぬ話を拝聴しながら、本年最後の和塾もお開きとなりました。盃事の多くなる季節ですが、ご自愛いただき良き新年をお迎えください。お正月には屠蘇の祝いを忘れずにね。