連載

対論・福原寬×田中康嗣「伝統音楽の世界に学ぶ持続可能な地球」前編

日本の伝統文化は、あなたにとってどんな存在ですか?
歴史の中だけにあるもの?
少し気になるけど観たことはない舞台芸術?
または美術館や博物館のガラスケースの中にあるものでしょうか?
多くの日本人にとって、日本の伝統文化は、高尚で難しそうで、敷居が高そうな、非日常の存在。

でも、そんな遠い存在の日本の伝統文化を、地球の持続可能性という観点から改めて眺めてみると、今を生きる私たちがより良い地球を創り伝えていくためのヒントがたくさん詰まっていることに気づきます。

日本の伝統文化から、「持続可能な地球」を導くであろう新たな価値軸を引き出そうとする試みとして始まったこの連載。今回は、伝統和楽器「篠笛・能管」の奏者、福原流笛方の福原寬さんとの対論を通して考えてみたいと思います。

福原寬(Fukuhara Kan)
1967年、愛知県犬山生まれ。歌舞伎音楽好きの父の影響で、幼少の頃から和楽器に親しむ。中学生より笛を四世宗家 寶山左衛門師(六代目福原百之助 人間国宝)に手ほどきより師事。
1990年 東京芸術大学音楽学部邦楽科卒業、1992年 同大学院修士課程修了。
歌舞伎や日本舞踊会などの古典を中心とした演奏活動のほか、NHK古典芸能鑑賞会、国立劇場主催公演などの企画公演に出演。また、他ジャンルの演奏家や、語りや朗読とのコラボレーションなど様々な演奏表現にも積極的に参加。各地で横笛教室「苑の会」を主宰し、後進育成にも力を注いでいる。
福原さんHP「福原寬 笛に想う

 

●内より外を優先する文化

和塾理事長 田中康嗣(以下、田中):以前、あるプロジェクトで、西洋の文化文明と日本の文化文明の違いについて考察したことがあって、その中で、西洋の文化は「外よりも内が優先される、遠心力が働く文化」で、日本のそれは「内よりも外を優先する、求心力が働く文化」である、という差異規定を提示したことがあります。日本の伝統文化のプレイヤーとして、例えば篠笛を演奏される時に、このような内へ向かっていく感覚、求心的な意識のようなものを感じることはあるものですか?

福原寬(以下、福原):そうですね。西洋音楽の場合は、空間的な表現で外へ広がっていくので体も動くんですけど、日本の伝統音楽はグッと内へ向かう感じ。演奏中の動きがどんどん削がれていって、もうほぼ動かなくなる。日本の音楽家はたいてい正座で演奏しますが、正座というのは内へ向かうのに適している形だと思うんですよね。下っ腹の丹田の辺りに力を入れて支えを作ったら、支えは動かさない。そこから息を出します。声を出す場合もそこで声を作ってそこから出す。対照的に西洋音楽の場合は、その支えを動かすんです。高い音を出すときにはキュッと持ち上げて、パッと上から出したり、低い音の場合もグッと支えを下ろしてそこから発します。だから体も動くんです。正座で演奏してください、と言われたら、彼らはとても演奏しづらいと思います。

田中:なるほど、西洋音楽と日本の伝統音楽では演奏中の身体の動きが違うんですね。舞踊なども、欧米のものと日本のものは、肉体の駆動方式がまったく異なりますからね。こうした内側に向かうベクトル、内よりも外を尊重する日本の文化的あり方は、個人を越えたところへもつながっていく。自分より家族、親兄弟の方が大切で、自分の思いや願いは後回しにしたり、その家族よりさらに外側の村落共同体の方が大事であったり、というように、本来の日本人というのは、自分より外の方を大事にしませんか。西洋人は、常に自分が優先で、親子であっても個人の意思や願望の方が尊重される。日本人の場合は、最後の最後に自分の思いが来る。

福原:最近ちょっと薄れているような気もしますけどね。

田中:昔はそうでしたよね。最後に自分。師匠あっての自分ですし。ご先祖さまがいたからこそ、今の自分がある。どうしてそうなったのか分からないけれど、そうであることは確かだなと思いますね。

 

●伝え繋げる文化

田中:芸の修業においては、まず師匠の芸を真似て学ぶことが重要で、自分の個性を出すというようなことは、あまり求められないですよね、日本の場合。

福原:個性も大事ですけど、その前に師匠のものをそのまま受け継ぐ。演奏だけじゃなく、師匠の存在そのものをそのまま鵜呑みにしますね。だから内弟子制度があるんだと思います。師匠の家に住み込みで暮らして、朝起きたら師匠と顔を合わせて家事の手伝いをしたり、付き人として寝るまでずっと師匠のお世話をする。師匠のすべてを見て学ぶことから始まるわけです。

田中:福原さんは僕と同じ戦後世代で、新しい世代ですよね。葛藤はなかったですか。僕なんかもそうですけど、戦後世代は、個性やオリジナリティが大事と言われて育ちましたよね。それなのに伝統音楽の世界では師匠の真似をしなさいと。

福原: 1970年代頃から音楽も海外のものがどんどん入ってきて、日本人は海外への憧れを抱いていましたから、オリジナリティを出すことはさんざん言われました。「師匠とそっくりですね、もっとあなたの個性を出さなきゃ」と。私も若かったからいろいろ悩みました。でもいま思うと、やっぱり師匠のそのものをまずは取り込んで、徐々にそれが自分のものになっていき、その後に自然と自分の色がついていく。そうでないとだめな気がするんです。

田中:でも現代の若い演奏家で特に伝統音楽以外をやっている人たちは、圧倒的にオリジナリティだとか個性を重要視する方向で、自己主張も強い。僕も若い頃は自己主張強かったなぁ。でもこの15年、さまざまな分野の伝統文化を担う方々とお話をすることが増え、実際に自分でも芸能や工芸の伝統文化の稽古や実技を重ねていくうちに、随分考え方が変わりました。今は、みんなが外に向かって自己主張する欧米的な社会は歪みを生み、争いを生み、格差を生んでいると思っています。ちっとも持続可能性がないなと。

福原:私たちのような伝統音楽のプレーヤーは、基本的に芸術家ではなく職人的な感覚を持っています。だから師匠から受け継いで・・・、といっても1から10まで手取り足取り教えてくれるわけじゃないから、師匠の演奏をとにかく見て聞いて、そこから汲み取って修得していくわけです。

田中:職人魂ですね。西洋美術を勉強していると、職人というのはどこまでも「クラフトマン」で、芸術家、つまり「アーティスト」の下に位置する存在なんです。優れているのはアーティストで、その下にクラフトマンがいるという。僕はクラフトマンとアーティストというのは、少なくともイーブンな存在で、決して上下じゃないと思うんですけど。

福原:「私は芸術家です」という感覚って、本来日本人にはあまりないんじゃないかと思うんですよ。やっぱり謙虚さが大切で、学ぶのにも演奏するのにも謙虚さがないと、良いものにならない気がします。謙虚力というか。謙虚な心根がないと相手から学ばせてもらうという気持ちにはなかなかなれないですし。

田中:ちなみに福原さんは、若いお弟子さんから「模倣ばっかりではだめだと思います」と言われたらどう答えるんですか?

福原:模倣したものを自分の中で練り込んでいくと、もはやそれは模倣ではなく、だんだんと自分のものになる。これが根底にあってはじめてそこに自分の色がついてくるものなんです。模倣して自分のものにできてないのに、何かやろうとしても虚しいものになるだけ。うちの師匠はよく「40の声を聞いたらやっとスタートライン、50の声を聞いて少しずつ自分の演奏ができるようになって、60を過ぎてなんでもできるようになってきたと思うと体力が落ちてくる」ということをよく言っていました。若い頃はあまり腑に落ちてなかったですが、自分が40を超え50を超える歳になって、師匠が言っていたことがなんとなく分かってくるようになりました。歌舞伎役者の中村勘三郎(18代目)さんも、「型がないと型破りにならない」と話していましたね。勘三郎さんのような有名な役者さんが、それを体現して世の中に発信してくださると、説得力ありますね。
若い人の方が体もよく動くし器用だし、テクニック的なことはすぐこなせてしまうんです。だからよけいに勘違いしやすい。いまは時間の流れもすごくはやいから、なんでもざっとなめるとか、そういうことは皆さん慣れてる。でも、百年千年続く伝統音楽の世界に入ったんだから、もう少し腰を据えて何でもじっくり聞いたり見たりしてみると、違うものが見えてくるかもしれないと、弟子には言っています。

田中:分かってくるの30年後かもしれないですけどね。

福原:それでいいんです。若い頃、自分も師匠といろんな話をしました。何気ない話を。そのときはなんとなく聞いているだけですぐに忘れてしまっているんですけど、20年とか30年たったときに、師匠が言ってたことを、突然、鮮明に思い出したりする。だからそういうことは大事。そのときすっと通りぬけていても、どこかに残ってる。

田中:そうやって師匠や先代のものを繋いでいく、続けていくって大事ですね。つづけ、つないでゆく。それが日本のあり方。

福原:自分の表現の中に師匠のものが生きている。師匠の師匠のものも。その先の師匠のものも。ずっとずっと繋がってきている感じが分かります。

田中:未来ばかりを見ていても、繋がり続いてはいかないですものね。

 

IT、ICT、AI、IoTなどの技術が進化した現在のデジタル時代。すべてのものがスピード化を求められ、株式市場で一秒間に数万回の取引が繰り返されるなど、人間を完全に置き去りにした時間観念が世界を席巻しています。所要時間は短ければ短いほど歓迎される社会。「インスタ映え」という言葉が象徴するように、社会が刹那の愉楽(その場だけの見栄え)に浸っている気がします。

一方で福原さんがいる伝統音楽の世界は「腰を据えてじっくり師匠や先代と向き合い、まずは師匠の全てを自分の中に取り込んだ上に、自分の色を足していくことが大事」。
自分を中心に考えるのではなく、何百年にもわたって大切にされてきた先人たちの心や芸や技を尊重し敬意を払う。そしてそれを自分の中に取り込んだ上に、自分を重ねる。そうやって積み重ねていくから、継続し持続する。

瞬間の意味を切り取るのではなく、持続することの価値を評価し、瞬発力よりも持久力を求めることの方が、持続する地球との相性は良いのではないでしょうか。(後編へ続く

 

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