11月『酉の市』講師:小林信也先生

as200811_tori_phot02日時:11月26日(火)19時~21時
会場:六本木/国際文化会館
講師:小林信也先生

江戸の験担ぎ「酉の市」。三の酉の参拝に併せて授業を行いました。
当日は酉の市の浅草が舞台となる
樋口一葉の「たけくらべ」を読みながら
その世界観を学びました。
その後塾生は浅草、鷲神社へ。小林先生とご一緒に!
小林先生どうもありがとうございました。
下記に酉の市の大枠を記します。ご参照くださいませ。
ご参加くださったみなさま、どうもありがとうございました。

酉の市とは?

酉の市は、11月の酉の日(十二支)を祭日として、浅草の酉の寺(鷲在山長國寺)や
各地の鷲神社、大鳥神社で行われる、開運招福・商売繁盛を願う祭りで、江戸時代から続く代表的な年中行事のこと。
江戸時代には「春を待つ 事のはじめや 酉の市」と芭蕉の弟子其角が詠んだように、正月を迎える最初の祭りとされていた。
当時“酉の町とりのまち”“酉の祭とりのまち”と呼ばれていたが、祭に市が立ったことから次第に市の文字があてられるようになった。
11月酉の日の午前零時に打ち鳴らされる「一番太鼓」を合図に始まり、終日お祭が執り行われる。
11月に酉の日が二回ある時は二の酉、三回は三の酉といわれる。
古くより続く鷲神社の例祭は大正十二年の関東大震災の年も、戦時中や終戦の年も挙行された。

縁起物

①かっこめ(熊手御守)
熊手御守は開運・商売繁昌のお守りとして「酉の市」のみに授与される。
一般に「かっこめ」「はっこめ」といわれ神様の御分霊である。
江戸中期より天保初年頃までは柄の長い実用品の熊手におかめの面と四手をつけたものでした。
その後色々な縁起物をつけ今の様な宝船、平、桧扇、文化、みの、御所車など多くの種類になった。

八頭(やつがしら)(唐の芋)
古来より頭の芋(とうのいも)とも呼ばれ、人の頭に立つように出世できるといわれ、さらに一つの芋からたくさんの芽が出ることから「子宝に恵まれる」という縁起物である。

黄金餅(こがねもち
粟餅(あわもち)の別名といわれ、餅米5分に、粟5分の割合にしてついてできた黄色い餅のことを言う。この黄色が金色の小判に良く似ていたことから、金持ちになるようにとの縁起で売られていた。

切山椒(きりざんしょ

「上新粉に砂糖と山椒の粉を加えて搗いて薄く延ばして短冊形に切った餅菓子です。黄金餅に替わって、年の瀬を告げ、正月用の餅菓子として売られている。
山椒は日本最古の香辛料で、葉、花、実、幹、樹皮に至るまで、全てを利用することが出来る落葉低木。さらに、山椒の木はとても硬いのですりこぎや杖としても利用されていた。このように捨てるところがない全てが利用できる(有益である)との縁起から切山椒が商われるようになった。

江戸時代から続く酉の市

酉の市の始まりは、江戸近郊に位置する花又村(現在の足立区花畑にある大鷲神社)であるといわれ、祭りの形態も、当初は近在の農民が鎮守である「鷲大明神」に感謝した収穫祭であったと伝えられている。祭りの日、氏子たちは鷲大明神に鶏を奉納し、終わると集まった鶏は浅草の浅草寺まで運び、観音堂前に放してやったそうだ。
当初武士の参詣が多かったと伝えられているが、やがて江戸市中からは武士だけでなく、町人がこぞって参詣するようになる。社前では年末の一発勝負を賭けた辻賭博が開帳され、にぎわった。
しかし、安永年間に出された賭博禁止令を境に、その盛況は浅草へと移っていく。
当時、花又村を『本の酉』、千住にある「勝専寺(赤門寺)」を『中の酉』、
長國寺が別当をつとめていた、浅草の鷲大明神を『新の酉』と称し、この3ヵ所の酉の市が有名だった。
なかでも、浅草長國寺の『新の酉』は、東隣に新吉原をひかえていたこともあり、
鷲妙見大菩薩(鷲大明神)が長國寺に迎え移され祀られた
明和8年(1771年)頃から一躍最も高名な酉の町として知られるようになり、今日に至っている。

江戸時代からつづく熊手の粋な買い方

 熊手屋さんとお客さんとの駆け引き。どれだけ値切れるかは腕しだいで、うまくいけば熊手屋さんの気っぷのいい声が聞けるかもしれない。昔は値切った分だけ「ご祝儀」として店においてくるのが粋な熊手の買い方とされていた。実質熊手屋さんの言い値で買ったことになるが、お客様はご祝儀を出してちょっとした大名気分を味わい、熊手屋さんはご祝儀を頂いてより儲かった気分を味うのである。その後、商いの成立を意味する手締め(手終い)を行い御家庭・会社の弥栄えをお祈りする。

三の酉の歳は火事が多いと云われる、その訳

「三の酉の年は火事が多い」と言われるが、その由縁はよく分かっていないのが事実である。
いくつかの説はある。当時の江戸は火事が大敵である、空気の乾燥する寒い三の酉の時期に火への戒めを喚起したという説もあり。また酉の市に乗じて吉原へ出かけようとする男達を足止めするために女房達が「三の酉の年には火事が多い、だから夜遊びはほどほどにしなよ」と広めた説もある
また、鷲神社の由緒にも記しているように地方などに宵に鳴かぬ鶏が鳴くと「火事が出る」と言われたことから出たという俗信もある。

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