11月『押絵羽子板』講師:西山和宏先生

DSCN1888日時:11月12日(火)19時~21時
会場:六本木/国際文化会館
講師:西山和宏 先生

年末の風物詩の一つになっている、浅草の「羽子板市」。
そこで12月17日、18日、19日の開催を前に、江戸押絵羽子板職人で、
すみだマイスターの西山和宏氏を講師に「押絵羽子板」の話を伺った。

正月に羽子板で羽根突きをする子供達の姿を見かけることも少なくなってしまったが、人通りも少ない正月の凛とした空気に“カチーン カチーン”と響く羽根突きの音は、一年の邪気を追い払うような清々しさを感じる。

羽根突きの羽根の黒い玉はムクロジの種で「無患子」と書き、患うことが無い子への願いが込められ、
特に女の子が生まれて初めての正月には羽子板を贈るものだと言われる。
その羽子板はいつの時代に現れたものかは定かではないけれど、室町時代の『看聞御記』には永享四年(1433)の羽根突きの記録が残っている。

一方の押絵は掛け軸・襖など表具の貼絵の技法のひとつだったのが、御所の女官などが小裂を使って香箱や屏風にあしらうようになって上流子女の間で流行。
時代が下がり江戸時代には庶民にも広まっていく。

全く別々に歩んでいた2つが出会うのが、江戸時代中期文化・文政(1804〜1829)の頃。
人気役者の絵姿を押絵にして、羽子板にはめ込んだものを売り出したところ江戸っ子の注目を浴び、
そしてこの押絵羽子板は羽根を突く羽子板としてではなく、縁起物の飾り羽子板として江戸の町に広まっていくことになる。

江戸時代から明治、大正、昭和と時代が進み、歌舞伎も時代とともに芝居小屋から劇場へ姿が変わった。
自然の光、蝋燭の灯りで観ていた芝居が、電気の照明で観るようになったからか、羽子板の押絵も昔より立体感のあるものに変化したという。

西山和宏氏のお父上、西山鴻月氏の言によれば
1は下絵、2は感情を出せるかが押絵羽子板の要だという。

下絵は押絵の設計図。これが無いと絵が組み上がらない。
絶対に必要なものだけれど、これがきちんと描けていないと良い押絵にはならない。

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感情の表現は、作り手の思いを映す鏡。
顔はもちろん、手の指先一つを作るにも思いを込めて作らないと、全体の表現が希薄になってしまう。

役者の絵姿を写したものが以前の押絵羽子板の中心だったので、当然女の顔は女形の男の顔。
現在は、役者羽子板の顔がコワイというせいか、女性の面相の羽子板も多くなって来ている。

本来、押絵羽子板作りは各々の職人による分業制。
しかし西山氏は一人で押絵羽子板を作り上げていく。

江戸の羽子板と言われる役者羽子板を作る職人が少なくなってしまった今、浅草の羽子板市に行けば「成駒屋」の暖簾の向こうに、西山和宏作の押絵羽子板が待っている。

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