10月『富士山文化』講師:竹谷靱負先生

MrTakeya日時:10月16日(水)19時~21時
会場:国際文化会館
講師:拓殖大学名誉教授・富士山文化研究会会長 竹谷靱負(たけや ゆきえ)先生

今年の6月に「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の名称で、
世界文化遺産に登録された富士山。

富士山の御師の末裔で、富士山文化研究の第一人者である、
竹谷先生をお呼びして、富士山文化について深く学びました。
多岐に渡りご講義いただき、ありがとうございました。

議事録風に、記載しています。

御師とは
富士山に登拝する人々を富士道者と言う。
御師とは、その道者に自らの住居を宿坊として提供し、登山のお世話を行ったり、
祈祷によって寺院や神社に参詣する人々と神仏を仲立ちをする宗教者。
(かつて86軒存在していたが、今では3~4軒程度だという)

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「日本人にとっての山」「西洋人にとっての山」
西洋では19世紀初頭まで、山は悪魔が住む場所であり、人間の対立軸上にある場所であった。
たとえば、エレベスト登山成功を「征服」という表現を使ったりする。

一方、日本人は、信仰に基づき登山してきた。
山を眺望するときも、崇拝の感情を持ち、これを聖地とし、霊地とした。

山へ入ることは、参詣であり、神仏の霊地を汚さないように十分に配慮を行った。
山に同化して「山の気」を受け、ある者は生気を取り戻し、
ある者は神通力を身につけるための修行の場所とした。
それが東洋の山、日本の山であった。
もちろん、富士山も西洋人が構築した有形無形のアイデンティティとは、異質なものだ。

 

お胎内に潜ろう
富士山に登拝するのが隆盛した背景には、富士山に託す非日常体験が存在した。

山中や海岸の洞穴を母胎や子宮に見立て、そこに潜っていくことで、
新たな生命を得る「再生儀礼」の習俗は、全国で広く見られる。
富士山では、このような洞穴を「お胎内」と称している。

富士山の内部は、溶岩樹型という人間の内臓・肋骨のような形状をしている。
噴火して、溶岩が森林を通過して流れると、樹木に接した面は急激に冷えて固まるが、
同時に樹木は燃焼してしまい、ちょうど鋳型のようにして樹木の跡が残っているからだ。

お胎内の形状は多様で、大小さまざまな洞穴から構成されているため、
これを潜る人は、場合によっては四つん這いで前進しなければならない。
このときの姿は、赤ちゃんがハイハイするのに似ている。
すなわち、生誕したばかりの自分に立ち返る擬似体験をしているといっても良いのだ。

お胎内から出てきた人は、出産を体験したことになる。
胎内めぐりは、再生・出生の擬似体験なのだ。

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その他にも、頂上や人穴など、いくつか富士山信仰につながる場所が存在する。

<頂上>
大日如来のご在所であり、極楽浄土・死後を擬似体験することができる。
ご来迎は、ご来光。

<人穴>
人穴は、富士宮市にある富士山噴火でできた溶岩洞穴である。
江の島に通ずるという伝説も存在する。
犬涼み山溶岩流内にできた長さ約83メートルの溶岩洞穴「人穴」
と富士講講員が建立した200基を超える碑塔等がある。
浅間大菩薩のご在所とされ、地獄の擬似体験ができるとされている。

※「登拝」とは富士山を実際に登ることによる信仰をさす。
その他に、富士山信仰文化は、「遥拝」(富士山を近くから、あるいは遠くから仰ぎ見ることによる信仰)、
「文化・芸術の源泉」(文学や絵画に表わされた富士山を通じて得る信仰的感覚)に集約される。

病んでいる富士山は、日本の心の労き
富士の自然は、瀕死の重症だ。
富士山麓の乱開発による、土壌汚染・土石流・植林の立ち枯れ・水源の枯渇、
ゴミは不法投棄され、富士五合目までの登山道は、登山者を失った状況である。

病んでいる富士山は、日本人の心の労きの表われではなかろうか。
美しい富士も、病んでいる富士も、日本人の心の山に変わりない。
富士山とは日本人の心を映し出した鏡である。
自然回帰と文化遺産の再構築が叫ばれているが、それは現代日本人の心の再生の叫びに
他ならないのではないかと思う。本質的な解決策が求められる。

富士山の祭神は、「かぐや姫」だった?
3つの書物を紐解くことで、分かってくるという。

まずは『富士山記』(875~879)(都良香)
これは富士山文化の原典だと言われている。

「仰ぎて山峰を観るに、白衣の美女二人有りて、
山の巓の上に雙び舞ふ。巓を去ること一尺餘、土人共に見る。」

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次に『竹取物語』(成立年・作者ともに不詳、9C末~10Cと言われている)

「御文、不死の薬の壺ならべて、火をつけて燃やすべきよし仰せたまふ。
そのよしうけたまはりて士どものあまた具して山へのぼりけるよりなむ、
その山をふじの山とは名づけける」

最後に、『海道記』(1223)(作者未詳)

「むかし採竹翁と云ふものあり。女を赫奕姫といふ。
翁が家の竹林に鴬の卵子の形にかへりて巣の中にあり。
(中略)富士山にのぼりてやきあげければ、薬も文も煙りとむすぼゝれて
空にあがりけり。(中略)彼(帝)も仙女なり、これ(鶯姫)も仙女なり。」

『富士山記』の記述が『竹取物語』と合体する。
鎌倉初期の『海道記』では、「白衣の美女」は富士山の仙女であるということになり、
富士修験が残した各種の「富士山縁起」の中で、富士山の祭神はかぐや姫と記されている。

その他にも、なぜ人は富士山を描くときに、三峰で描くのか?など、
富士山文化を起点に、とても幅広く講義いただきました。
ありがとうございました!

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