第三十六回「は組」お稽古「禅」ネルケ無方先生

日時:2012年7月25日(水)19:00開塾
会場:グランドプリンスホテル新高輪 1階 惠庵
講師: 安泰寺 住職

Text by : Sakamoto

鎌倉時代に日本に伝えられたとされる禅は、その思想が現在ある日本文化の形成に大きな役割を果たしたとされており、また欧米では、禅を独自に解釈した「ZEN」と表記される思想を日常生活に取り入れるスタイルが支持されています。

本日は、ドイツ出身の曹洞宗安泰寺住職、ネルケ無方僧侶に「」についてのお話を伺いました。

元々はクリスチャンだったネルケ僧侶が、異宗教に興味をもったのは、通っていた高校の座禅サークルに参加したことがきっかけだったそうです。ドイツでは割と一般社会に座禅が普及しており、座禅道場も多くあるのだとか。
座禅をしてはじめて自分の体の存在に気づいたというネルケ僧侶。
座る姿勢によって周りの世界まで違って見え、自分が呼吸をしている事実に気づくことができたそうです。
呼吸をしていることに気づき、心臓が動いていることに気づき、そして鳥の鳴き声、虫の鳴き声に気づき、鳴いている鳥や虫とも自分はつながっているという実感をもつようになったとのこと。
7歳の時に母親を亡くし、生きる意味、人生の意味を問うていた時、父親や、学校の先生、牧師に聞いても解決しなかった疑問も、座禅をすることで、体の感覚に気づいただけでなく、人生に対する疑問も解決できるのではないかと思ったそうです。生きることへの疑問をもち、生きることは苦しみだ、ということに気づき、出家し、菩提樹の下で座禅を組み、やがて疑問を解決した釈尊のように。

僧侶は大学在学中に1年間休学し、京都の大学に留学します。その後、座禅ができるお寺を探し、現在住職をしている安泰寺に上がりました。
翌年の春には一旦ドイツの大学に戻りますが、卒業後、安泰寺の住職に弟子入りをします。
安泰寺はもともと、大正時代に座禅ができる道場として京都に建てられたお寺ですが、境内は狭く、住宅も増え騒音があったため、1997年に現在の地(兵庫県)にお寺を移します。
現在の安泰寺は、境内の広さは50ヘクタール、東京ドームの10個分の広さです。
檀家を一切もたない修行寺のため、農業をしながら本格的な自給自足をされています。
座禅は、農作業がある日は朝の4時から6時まで、夜は6時から8時まで行います。
接心といって、朝の4時から夜の9時まで続けて座ることが月に9日あり、年間1800時間座禅をします。それが生活の中心になっているとのこと。

1993年に安泰寺の住職に弟子入りし、師匠の下で8年間修行を続けながら、毎日座禅ができるような道場を作りたいと考えた僧侶は、大阪城公園に登山用テントをたて、そこで座禅をはじめます。インターネットカフェでホームページを作り情報を発信すると、少しずつ人が集まるようになり、小さな小屋を建てる程までになったそうです。
それから半年経後、師匠が亡くなり、跡継ぎを引き受けた僧侶は安泰寺の住職になります。
師匠から学んだことは多くあったようですが、特に記憶に残っているのは二つの言葉。
「お前が安泰寺を作らなければならない。」
「お前なんてどうでもよい。」
自分の好みを忘れ、周りの事を考えてはじめて良いものが作れる。そして責任をもって安泰寺を作っていこう、そう思ってはじめて一つの安泰寺ができ上がる。
師匠から学んだこの言葉は、現在安泰寺にいる10人のお弟子さん達にも伝えられているようです。
そのお弟子さんたちの育ち方を、野菜の育ち方に例えて説明される僧侶。
トマトは週に一回、人の手で支柱に結ばないと倒れてしまい、水もやりすぎると腐ってしまう、育てるのにとても手間のかかる野菜。
また、カボチャは横に広がり、まっすぐ伸びようとせず、自分の主張ばかりして、他の野菜を殺してしまう場合があるとのこと。
僧侶曰く、日本人に多いのはトマトタイプ、外国人に多いのはカボチャタイプだそうです。
僧侶が理想とするのは、キュウリタイプ。キュウリは一本の縄をたらすと勝手に縄の紐を掴み、勝手に上っていくそうで、お弟子さん達にはそのキュウリみたいに育ちなさいと話されているそうです。師匠という見本を自分で見て見習い、真似をして、自分の力で上りなさい、と教えられているとのこと。
お弟子さん達がキュウリの様に育つ為には、道元禅師の教えにもあるように、良い見本となる師匠の存在が必要だとおっしゃいます。
禅の狙いは自分が仏になることで、その見本とされるのは釈尊ですが、釈尊は2500年前に亡くなっているので、弟子にとっては師匠が釈尊のかわりになります。
しかし、師匠から何が学べるか、というのは結局は弟子次第であり、釈尊のかわりにしてみればお粗末に見える師匠でも、その裏にはちゃんと釈尊の教えが輝いているので、それを引き出すことができるかどうかは弟子の努力次第であるとのこと。安泰寺でキュウリのお弟子さんを育てるのは僧侶の責任ですが、キュウリになろうというお弟子さんの考え方も必要であるということです。
安泰寺にいらっしゃる10人のお弟子さん達の半分は外国人の方。
欧米人から見た禅の魅力は、体を使って実践することを重要視している点にあるとのこと。仏を信じなくても良いから実際に自分で座禅を組み、確かめてみる、どうなるかは自分でわかる、そういった点が、まずは神を信じることからはじめるキリスト教にはない新鮮なアプローチで魅力に感じるのだそうです。

お稽古の途中に8分間程の座禅を組みましたが、僧侶によると、座禅は足の組み方よりも腰の入れ方が重要とのこと。腰が入っていないと正しい座禅にならないそうです。
仏教では「身と心は一つであり、体の姿勢が整うと心もおのずと整う」という教えがあります。これは禅だけでなく、様々な日本の伝統文化に共通している考えで、すべてにおいて型が大事にされるのは型を整えることによって心が整えられるから、という考えにあるようです。

座禅をして何になるのか、と問われることがあるという僧侶。
座禅のどのようなところが魅力か、と聞かれると、何もないからこそいい。とお答えになるそうです。
座禅は意味がないからこそ、それが生活の軸になる、とのこと。
「生活を車輪に例えるなら、車輪が回る為にはブレない車軸が必要で、座禅というものがこれまで日本にあって、これからもあり続ける意味は、皆さんの生活の車軸になるという役割があるから。座禅を自分の車軸にするのもひとつの道です。」とおっしゃいました。

座禅を日常生活に取り入れることを広く提案されるため、お寺だけではなく、このような機会をもって座禅を紹介されている僧侶。
本日はお話ありがとうございました。

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