第三十二回「は組」お稽古「万葉集」上野誠先生

記憶の抽斗の把手である

上野誠先生は、断ってからあぐらをかくと、おもむろに昭和30年代の故郷福岡でのエピソードから語りはじめられた。
万葉集の「核」を伝えるのにもっとも効率的で、先生が長年培ってきた思考の順番があるようだ。
盂蘭盆に家にやってくる僧侶、読経のある箇所になると、お母さんが台所に立ち、サイダーの栓をぷしゅっと開ける。僧侶が帰ると、親戚一同がくつろぎ、酒を呑み、昔語りをはじめる。戦後すぐの話。そこに流れていた並木路子の「りんごの歌」、次に「憧れのハワイ航路」へと記憶は続く。父と母の出会いもそこに織り込まれた糸のように密接にからまってくる。
 記憶がうたを呼び覚ますのか、うたが記憶を呼び覚ますのか。
 
 言葉をもたない国はあっても うたをもたない国はない
 
 うたは、人間に備わっている「記憶するシステム」である、と先生はいう。
 しかしうたは記憶そのものではない。
「憧れのハワイ航路」が歌われていた時代、ハワイ航路はなかった。せいぜい大陸からの引き揚げ船の時代だったろう。人々の心配事が北へ向かっていた当時、憧れは南へむいていた。うたは事実ではないが、そのときの心を伝える装置だとおっしゃる。
 万葉集もまた、そのように考えると、その時代の人々の心を伝えるものであり、それをわれわれが読むとき、遠い先祖たちの心に触れる装置となる。

 防人の歌に込められた心情

 万葉集を読むとき、その時代的背景が往々にしてないがしろにされる。
 防人の歌を大伴家持が収集していた時代、大陸では唐と新羅が連合を組んで、百済を滅亡させようという時代、筑紫・壱岐・対馬に配置される辺境守備兵が防人。東北から徴収された民は、父母や妻子を別れ、生きて帰れるかどうかもわからない、つらい任務だった。

 ちはやぶる神の御坂に幣(ぬさ)まつり
 いはふ命は
 母父(おもちち)がため(巻二十の四四〇二)
 (恐い坂の神に捧げものをして 自らの命を祈るのは… 母と父のためだーー)

 母(あも)刀自(とじ)も
 玉にもがもや
 頂きて角髪(みづら)のなかに
 あへ巻くかまくも
 (母上も、玉であれば良いのになあー (頭の上に)頂いて角髪(みづら)のなかに
  一緒に巻くことができるのに)

 ここに歌われているのは切々とした親(とくに母親)への、深い情愛だ。
 古代の母権社会では、母のほうが父よりも存在感があった。万葉集のなかで父だけを詠んだうたはたった一首しかない。
 こういう事実もまた、うたが時代と空間を超えて、記憶の抽斗の把手だから。
 うた、歌、句、歌謡曲、経……リズムと音階があるものは、人は記憶する。俳句もまた五七五というおのずと整った呼吸のようなリズムをもつ。

 我々もまたうたっているのだろうか

 さて、先生のエキサイティングな講義を拝聴し終わり、われわれは居酒屋で語らった。
 果たして我々もうたっているのだろうか。古代の東北の民が、防人の歌をうたったように、いまの我々もうたっているのだろうか。
 音楽は巷にあふれ、文章もデジタル社会になってますます氾濫している現代、万葉の民たちの心情を吐露するうた少ない気がする。
 青ざめた自意識だけの言葉は口からこぼれても、人間を真正面から受けとめたうたは少ない。安易に万葉の時代と現代の比較をしても仕方がないが、そんなことをつらつら考えた夜だった。
 こういう考える機会を与えてくださった、上野先生に感謝いたします。

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