日本文化市場論 第十一話

日本文化について考えてみる。第十一話

第一章:和のブランド価値
→目次
第二章:和の競争戦略
→第九話「洋と和のポジション」
→第十話「維新の罪」

和文化のポジショニング論。明治の開国を機に日本はその独自の文化・文明にどのような市場地位を与えたのか。それは、やむを得ない選択だったのかもしれませんが、少しばかり悲しい選択だったのですね。話しはここでさらに、和の有り様考察へと進んでいくようです。マーケティング論というより、文明論のような展開。さて、読者の見解やいかに・・。

こうぢ殿

拝啓
お、ちょっと間が開いてしまいましたかね。申し訳ない。

前回書いたことに誤解のないよう少しだけ補足しますと、「洋」が現れたとき、引き算されたネガティブな価値として「和」が規定された、というのはあくまでも近代化の文脈の中で「和」が相対的にどう認識されたかという話ですね。独自の文化としての成立の話ではありません。
そして、その存在意義に未来がない、というのは、産業や生活におけるポジティブな足場を築き直さなければ、「文化遺産」としての希少価値だけを頼りに、一部の人の趣味や投機対象や土産物として生き残るだけになるだろう、それは決して望ましい姿ではない、というような意味ですね。
文化とは博物館に収められるものじゃなく、人とともに日々を生きるべきものだと思いますから。

さてさて、時まさに今、坂本龍馬をこき下ろすなんざ、相変わらず血の気が多いことでございますな。まあ、歴史観は遷り変るもの。僕らの親の世代あたりまでは豊臣秀吉が立身出世のヒーローだったりしたわけですし、やがて維新の志士たちも悪役として描かれる時代が来るのかもしれません。
ただ現代でもそうですが、優れたリーダーは常に新しい考え方や様式、技術に対してオープンなものでして、遡っては聖徳太子や織田信長も、外来の文化を好み、取り入れてきた。
では明治維新以降はいったい何が違ったのか。この150年ほどの間、日本人はパニックに陥ったように自らの美しい文化をかなぐり捨て、洋風化に突っ走った。そんな異常事態がなぜ起きたのか。

ひとつには、「近代化」と「洋風化」という、本来は別々の文脈のアイデアが、仕分けされずにワンセットになってなだれこんできたということがあったのじゃないですかね。
あの時代、近代化は独立国としての存亡上、避けられない選択だったと思いますが、そうまであらゆるものを洋風化する必要はなかった。ところが「近代合理主義」を理解する際、それまでの日本的なものがみんなひとまとめにされてその対局に置かれてしまったような気がするんですよ。
そして面白いのは、こうした急速な洋風化が民衆レベルでもノリノリで行われたという点です。そこに日本人の「新しもの好き」な性質とともに、自前の文化に対する特徴的な意識構造を見ることができそうです。

日本人の精神性の根底には、究極的に調和を目指す意識がくっきりと存在するので、異文化に対してもオープンであるという特徴があった。そしてもともと、自国の文化の個性を見極めてその価値や純粋性を守るという意識が弱かったのではありますまいか。

便宜上、大和民族を軸に考えると、日本という国はほとんど他国の侵略・統治を受けていない。
異文化との対立によるストレスや、他国による侵略の脅威が少なかっただとすると、逆に自らの文化を相対化してとらえ、アイデンティティを固める必要にも迫られなかったんじゃなかろうか。
(競争のない市場で安泰にシェアを保持し、成長している企業は、自社のブランド力などで悩む必要がないのと同じですね。)
この点、領土を接する他国たちとの日常的な摩擦の中でアイデンティティを築き上げてきたヨーロッパ諸国、あるいは民族の物語と生活様式だけを共有して放浪する遊牧民族たちなどとは、自国の文化に体する感覚がかなり違ったのだと思います。
日本人にとっては、この国で、自然体で生きていればそれがすなわち和の暮らしであり、その文化をわざわざ「和」と呼んで識別する必要もなかった。
もちろん、いろいろな形で異文化は流入してきたけれど、それで文化の純粋性が損なわれるという危機感がないから、異文化のエッセンスをあっけらかんと吸い取って、のびのび成長・熟成して来られた。
つまり、江戸時代までの日本文化の確立のプロセスは、対立構造の中で取捨選択しながらアイデンティティを磨くという形ではなく、異文化を吸収して豊かさを増しつつ自律的に変化する、という道をたどってきたのだと思います。
これ、買収や企業合併を仕掛けられている企業が自らのブランド価値を強く意識する一方、経営が順調で多角化による事業拡大に走った企業がむしろアイデンティティを喪失してしまう、といった構造と似ていますね。

そして、今から150年前に事件は突然起きた。
日本が歴史上、他国による侵攻の脅威にさらされたのは大雑把に言って三度、元寇と、黒船来航と、そして太平洋戦争の敗戦でしょう。このうち元寇は、神風が吹いてモンゴルを退けたことで自信をつけ、その後「強い」自分たちの文化を大成させるモチベーションになったのかもしれません。
しかしあの黒船は、さぞかしショックだったことでしょう。
見せつけられた力の差は、いわば国としての「恥辱」であったろうと思います。祈れども神風は吹かず、戦えばまず勝ち目はない。こじれれば国が滅びる、という危機感もあった。
この屈辱が、国を挙げて欧米文化を貪欲に吸収する原動力になった。そんなふうに考えてみてはどうでしょう。
以後数十年、日本はものすごいスピードで、産業、軍事を中心に欧米から多くを学び、近代的な軍事大国化を果たして行った。
強い軍隊ができた。ロシアを破って国としての自信も取り戻した。で、自信がつきすぎた挙げ句、今度は太平洋戦争における惨敗とGHQによる統治という決定的な屈辱を味わうはめになった。
「武士は食わねど高楊枝」の国民が、片言の英語で進駐軍に菓子をねだる子供たちの姿をどんな思いで見たことか。
そして戦後。その悔しさをバネに、今度は特にアメリカから、経済と生活文化を軸に多くのことを学んで、日本は驚異的な速度で経済大国化を果たした。
「負け」に直面して「弱い日本」を自覚し、「勝つ」ためのあり方を大急ぎで吸収しようとした。それには異文化に対する柔軟性が大いに役に立った。
一方、そうした中で「弱さ」の原点としての「和」を恥ずかしく思い、拒絶する、という意識も生まれたのでしょう。
小生、田舎から上京してきた者なので、こういう劣等感から来る自己の原点の否定感には思い当たる節があります。
ああ、貴殿は大阪だから「対立意識」派かもしれませんな。

さて。
そうして150年を経て、我々は西洋文明から何を学び、これから先、どんな学ぶべきことがあるのか?
正直言って、なんだかひととおり吸収すべきものはしつくしてしまったような気がしませんか。貴殿もご指摘のとおり、「洋」は、そろそろその底も限界も見えてしまった感がある。欧米からやってくるものは、その時々で消費して楽しいものや短期的に役立つものはたくさんあるけれど、深く学び続けて行ける価値のあるものは、結構貧弱なのではないか。
そろそろ「洋」からの卒業の潮時なのじゃないでしょうかね。

日本の文化には、合理的解決のみをゴールとはせず、不確実さの中から立ち現れてくる関係性のおもしろみを体験的に味わう、という美しい特徴がありますよね。時空の「間」がごちそうになる。だから行けども行けども奥が深い。
僕は、そもそもこれが、物事の関係性を単純化することから始まる近代合理主義のベクトルと合わなかったのだと思います。だからこそ近代化の流れの中で、こうした「和」の価値観は排除されがちだったのかもしれない。

でももう、世界のパラダイムははっきり変わってしまった。
合理主義と工業化が究極的に作り出したコンピューターたちは、双方向ネットワークで結びつき合ってカオスを生み、世界を新しい構造で再定義しようとしている。そんな世界は、もはや「近代」の単純な方程式で割り切ることなんてできない。
だから今、猛烈な自己否定を展開しているのは他でもない、アメリカじゃないですか。皮肉なもので、貴殿が引用されたヘンリー・ヒュースケンの言葉は、まさにアバターの主人公ジェイクの心情そのものですね。

洋と和の新しいポジショニングを考えるうえでは、まさか反「洋」プロパガンダを張るわけにもいかないので、「洋」の価値観そのものを直接移し替えることはできません。しかし、我々が長年ありがたがってきた「近代化」の象徴としての「洋」は、それ自体が自己崩壊しつつあることに注目すべきでしょう。

そう考えると、近代文明への反省をふまえて、「洋=消費するもの」に対する「和=学んで自ら深めてゆくもの」というポジショニングの棲み分けなんかも面白いような気がしますよ。
健康ブームから引き続いての大きなトレンドとも言える「自分さがし」の欲求や、「学び」のモチベーションに応えて、和は、次の時代を生きるための能力開発、と位置づける。

あるいは「洋=合理的に割り切る美学」、「和=調和のありかたから立ち上がる関係性の美学」なんていう置き方もありかもしれない。
一神教の善悪では割り切れなくなった世界に、八百万の神と人とモノが生態系を構成して多様に和する世界観を持つ和の文化は、新しい秩序をもたらすかもしれない。

そして最も重要なのは、和の表層ではなくその精神を、日本人固有の文法や土着的価値観ではなく、ユニバーサルな言語・文脈で語り直すことなのだと思います。それが、150年後の「洋」学校の卒業生に与えられた仕事なのかもしれません。
長くなりましたので、今日はこのへんで。
敬具

※次回はこうぢ君の返信。1週間以内に返すがルールとなってます。お楽しみに。
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