ー歌舞伎の入り口〜役者の家に生まれてー片岡孝太郎先生

日時:2006年2月14日(火) P.M.7:00開塾
場所:六本木 はん居

歌舞伎役者・片岡孝太郎さんをお迎えしての二月のお稽古。和塾はじめての「」ということで、まずはその世界観などに触れるなかなか経験のできないひとときとなりました。

片岡孝太郎先生

山本二郎さんによる歌舞伎の歴史のさわりを参考までに以下。
人間の解放が行われる時には踊りの流行ということが顕著な社会現象となってあらわれるものだという。(中略)
中世末期(十六世紀末)もやはりそのような時代だった。長い戦争の苦悩からようやく脱して、近世の曙光がかすかに期待されるといった頃である。時代の要求にこたえて現れた芸能は、能をくずした女房能や女舞のほか、風流踊り、念仏踊り等々の官能的享楽的な匂いのつよいものであった。これらを演じたのは白拍子や巫女の流れをひいた遊女が主だった。いくたの遊女の舞踏団が京都を中心に動いていたが、そのなかでもっとも人気の高かったのが、出雲大社の巫女と称して慶長の頃(1600年)あらわれたお国とその一座であった。

お国ははじめ念仏踊りを看板にして、紅の腰蓑をまとい、鉦を叩きながら踊ったが、やがて男装して長刀をさし、茶屋で遊女と戯れるさまをも演じてみせた。一座には男優も加わって女に扮し、あるいは道化師となって滑稽寸劇をも演じた。そういう性欲倒錯的興味は戦後の退廃的な世相の中から生まれ出たものにほかならない。
世間ではそれをかぶき踊り、さらにかぶきと呼ぶようになった。元来「かぶき」という言葉は「傾く(かぶく)」から生まれたもので、異様な風俗や振る舞い、あるいは諧謔、好色という意味をも含むようになった。したがって、かぶき者といえば異装をし伊達を競う輩のことを意味し、かぶき女といえば派手な衣装をつけ滑稽好色の所作を演じるものをいった。かぶきは後に漢字で「歌舞伎」の字が当てられた。

慶長から寛永の頃にかけては、お国かぶきのほかに数多くの女かぶきがあったが、なかでも采女かぶき、佐渡島かぶき、村山右近のかぶきなどが有名だった。これらは民衆に強い刺激を与え、享楽的な空気は社会の治安風俗を乱すことはなはだしかった。(中略)
寛永六年(1629年)徳川三代将軍家光はついに「女舞、女歌舞伎、女浄瑠璃等一切」を禁止した。かぶきが興ってから三十年にも満たない時である。これに対し興行者側では、男の一座に加わって興行するという対応策をとったが、翌年に「男女混交の儀以ての外」という布令が出た。この時をもって、芸能史の表面からは女優が姿を消すことになった。

片岡孝太郎プロフィール
[屋号]松嶋屋
[定紋]追いかけ五枚銀杏
伝統歌舞伎保存会会員
▼若女方としてめざましい活躍を見せる。行儀がよく気品があり、格調の高い芸風で、しっかりした演技を見せる。お姫様や娘役は以前から高い評価を受けているが、最近は『傾城反魂香』のおとくなど女房役や『毛谷村』のお園など強い女性の役もいい。上方歌舞伎にも力を入れており、『女殺油地獄』のお吉や『河庄』の小春といった役もしっとりと演じて好評だった。
▼昭和43年1月23日生まれ。十五代目片岡仁左衛門の長男。48年7月歌舞伎座『夏祭』の市松で片岡孝太郎を名のり初舞台。平成6年名題昇進。
▼昭和62年眞山青果賞新人賞。平成2年関西で歌舞伎を育てる会奨励賞。5年歌舞伎座賞。6年と11年に十三夜会賞奨励賞。7年関西・歌舞伎を愛する会奨励賞。10年眞山青果賞奨励賞。13年眞山青果賞。

孝太郎さんの台本

歌舞伎俳優名鑑「
http://www.actors.or.jp/meikan/members/actors/a0887_takataro.html

片岡孝太郎さんを応援するサイト
http://www009.upp.so-net.ne.jp/konohana/

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です